徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

知らない天井について

8月21日、日曜日。
夏休み最終日の正午、ぼくは電話をかけまくっていた。
スマホを持つ右手の親指には深い傷がいくつか付いているが、幸い出血はさほどではない。
しかし左腕の方は力なく垂れ下がっており、すこしでも動かそうとすれば容赦のない激痛におそわれる。
自転車でバランスを崩した際、すぐわきにあった柵をつかもうとしたが届かず、ハイル・ヒトラー状態で転倒した結果であった。
幸運というか間抜けというか、間抜けが幸い転んだのは家の真ん前。
激痛のため、自転車で横倒しになった姿勢のまま数十秒間の悪戦苦闘。
なんとか自転車の下から這い出し、家に戻った。
日曜日のことなのでまずは地域の救急案内に問い合わせ、救急外来を受け付けている病院の番号を聞く。
右手で電話を持ったままメモを取ることはできなかったのでスピーカーモードにして机に置き。
手近にあったガンダムマーカー(プラモデルの溝にインクを流し込んで塗装するやつ)のふたを口で開けて、メモ用紙が見あたらなかったのでアマゾンか何かの封筒の裏に震える手で書き留める。
しかし、電話を一度切り教えられた当番病院に電話すると、今日は整形外科の医師がいないとの回答ありけり。
代わりに、この付近で整形外科医がいそうな救急病院を三カ所ほど教えてもらい、番号をメモしていく。
震えるガンダムマーカーで書かれた文字で埋め尽くされていく封筒の裏。
ダイイングメッセージかよアハハとか脳裏をよぎるが、顔は蒼白である。
いわゆるパニック状態という奴だろう。
 
紹介された病院の一件目に電話してみると運よく整形外科の医師がおり、すぐに来てくれとの回答。
病院の名前は聞いたことがないが、名前から察するにたぶん隣町の山の中。
面倒なのでタクシーを呼び、右手の出血でタクシーを汚さないように軍手をつけ、揺られること三十分あまり。
マジで山の中の病院に到着。
受付と問診を済ませ、早速レントゲンを撮ってもらう。
引き笑い気味のレントゲン技師、数回曰く
「タヌキさん、えらいことになってますよ……」
その後診察室に移動。
レントゲン写真を見たらしい医師の声が隣室から曰く
「あ〜〜〜〜〜ーーーー…………」
(「あー、やっちゃったかー」くらいのニュアンス。人間の声は実に表情豊かである)
病院を囲むのどかな風景と、青い空、白い雲を走馬灯のように脳裏に描くワタクシ。
このすてきな夢はいつ醒めるのだろう。
 
診断は左上腕骨上端付近の粉砕骨折……とはいっても砕けたと言うよりはいくつかに割れたイメージ。
ただやっかいな骨折のたぐいではあるらしく、手術は必要といわれた。
肩なのでギブスをつけるわけにもいかんらしく、三角巾で腕を吊ってもらい、鎮痛剤をもらってその日は帰宅。
家の近くの総合病院に関節専門の整形外科医がいるということなので、翌日月曜に行くことになった。
……ちなみにその夜はほぼ眠れず。
とにかくどんな格好でも痛い。
横になると特に痛い。
いちおう「肩の下に畳んだタオルを挟んで寝て、冷やせば楽にはなる」というアドバイスのおかげでのたうち回るほどではなかったが、果てしない疼痛との戦いで朝を迎えた。
 
22日、月曜日。
会社は夏休み明けだが、有給を取り総合病院へ。
運悪く台風が迫っており、傘をさすも下半身ずぶぬれ、靴は床上浸水の状態で到着。
入院になるのは確定しているため、入院前検査巡りが始まる。
レントゲン、CT、尿検査、血液検査、心肺機能検査、など。
結果、完璧な成績で入院OKとなる。
……うれしいのかなんなのかよくわからん。
が、問題発生。
担当医の都合上、手術は31日になるらしく、入院はそれにあわせて30日朝から。
えーとつまり、それまで頑張ってくださいね☆状態である。
……まあ仕方ありません。
肩が砕けた状態で頑張っていいのか謎でしたが、医師が言うんだからいいんでしょう。
諦めて頑張ることにしました。
 
23日、火曜日。
ふつうに出社。
幸い今はデスクワークの多い時期なので仕事はできます。
ただ、右手一本でタイピングするうえ左腕の重量が右肩に乗っているため、肩が異常に凝って軽い頭痛に苛まれる。
昼飯はいつも通り社食の蕎麦が食べたかったが、混雑するなか片手使いも面倒なので、コンビニの握り飯2個ですませる。
床に落ちているゴマ粒を足の指でつまんで拾えるという特殊能力も一助となり、生活面もさほど苦労はないが。
唯一、洗濯物を選択ばさみで挟むという作業に手こずる。
 
29日、月曜日。
退社後、ビールが飲みたくなるが炎症を起こされてもかなわんのでアサヒオールフリーを購入して帰宅。
明後日の手術は全身麻酔下で行われるが、これは僅かながら死亡リスクが伴うらしい。
ここ一週間、レンチンで作れるカップ飯類と握り飯で生活してきたが、娑婆での最後の夜と覚悟し好きなものを食う。
 
30日、火曜日。
台風直撃につき会社では緊急対応の準備をしていたが、進行経路的にうちの地域は朝には何事もなくなると勝手に予想。
ノーガードで構えていたところこれが的中し、傘も持たずに普通に病院へ。
問診を受け、あれよあれよという間に窓際のベッドの上。
窓からみえるあの木の葉が全部落ちる頃、私も楽になるんですね。
真夏だから何万枚あるか知らんけど。
 
……さて。
 

 
知らない天井だ。
寝間着に着替え、点滴が始まり、病院食の昼飯を喰う。
……なかなか旨いではないか。
白飯に汁物、おかず、野菜類、果物。
熱量は三食で1800キロカロリー
入院生活に必要な熱量を過不足なく供給される感じである。
たぶん入退院時の体重差は200 gにも満たぬであろう。
その日はふつうに風呂に入り、ふつうに寝るだけだった。
 
31日、水曜日。
0530時、起床。
0800時、飯を喰い(朝はパン)、手術用の病衣に着替えてベッド上で待機。
1005時、手術の準備ができたとの連絡があり、徒歩で手術室へ向かう。
全身麻酔のため立会人としてきていた母親に「お世話になりました」と挨拶し、殴られる。
手術スタッフに挨拶。
執刀医は男のはずだが、サポート4名はどういうわけか、全員若い女性でしかもかなりの美人であった。
(ここがポイント。後でそこはかとなく重要になります。どういうことかみんなで考えよう!)
名前と手術箇所の確認を受ける。
そのまま徒歩で手術台まで行き、自力で横たわる。
酸素マスクをつけられたのち、
「これから麻酔を入れます」
とのアナウンス。
空気のにおいが変わり、4呼吸もすると意識ははっきりしているものの、眠気を我慢しているときのような目の焦点が合わない感じに。
どんな感じかと聞かれたので、酔っぱらったみたいですと返答。
「点滴に睡眠薬を混ぜますので、ちょっとぴりぴりするかもしれません」
とアナウンス。
痛みに驚きたくないので点滴の針のあたりを気にし始めて推定3秒後。
瞬間的に意識がなくなった。
 
推定1300時、声が聞こえたような気がして、意識が戻った。
急に感覚系がはっきりして、水面に浮かび上がった感じだった。
同時にのどに激しい違和感を感じ咳き込む。
原因不明の緊急事態を収めようとして、右手の親指がスマホのホームボタンを探した。
人間の習慣は恐ろしいものである。
……そういえば意識が戻るとき、喉には呼吸確保のためのチューブが通っているはずであり、そのまま呼吸の確認をする手はずだった気がするが、そりゃ無理ですわ旦那。
チューブが抜かれ、呼吸を整える。
何か問われたような気がしたが、意識は混濁しており詳細は不明。
声が出にくいなか、
「生きてます」
と回答した気がする。
目を閉じたまま、ベッドごと運ばれているのを感じた。
途中、母親がそばにいることを告げられたので、
「恥ずかしながら帰って参りました」
と挨拶した。
敬礼をしたかったが体は動かず、声がでにくかった。
数分の後、ベッドが停止。
ようやく薄く目を開けると、どうやら元の病室らしかった。
 
夕刻。
意識はほぼはっきりした。
酸素マスクと、足には血栓防止用のマッサージ装置がつけられていた。
傷はうずくが体は動かせる。
点滴を換えにきた看護師が「鎮痛のために麻薬を入れています」と言っていたのでモルヒネのことか聞いてみると、「それはガン疼痛用。これは○○」と言われた。
フェンタニルだったか??)
 
2100時、トイレに行きたいが血圧が不安定で安静解除にならなかったため、ベッド上で尿瓶を使う羽目に。
寝小便を垂れているようで何とも不気味であった。
 
9月1日、木曜日。
傷は疼くが、その他概ね快調。
普通の朝食を採り、歩いてトイレへ。
……異常発生。
排尿すると、痛いのである。
美少女読者のために詳述は避けるが、要は尿道の、外界から5 mmほど入った部分がピンポイントで痛んだ。
……どうやら術中、導尿管を入れられていたらしい。
しかし、いったい誰がその作業をしたのか?
……
…………
もうお嫁にいけない。
 
5日、月曜日。
血圧、体温正常。
点滴は2日の深夜に除去。
傷の痛みはほぼ消えた。
ついでにあれの痛みも完治。
しばらくは肩は動かせないが、周囲の筋肉を整えるリハビリは始まっている。
退院は明後日だが、肩を動かす許可が出るのは9月下旬の予定。
窓の外に広がる世界が美しい。
夏はまだしばらく続いてくれるだろうか。
 

 
 
台風来てるけどね。
徒然狸 ―タヌキの日記―

筆者は盲導犬尊敬し、個人的に応援しています。
http://www.moudouken.net/





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