徒然狸 -タヌキの日記-

人類のために――

こんところの夢について

3~4月にかけて、既存の開発アイテム群をがむしゃらに進めて見たり、営業活動に同道したり、その合間を縫って新開発アイテムを立ち上げてみたり、さらにその合間を縫って部下の面倒を見たりしてみた結果、見事に疲労困憊と相成り。

これではあかんとGW12連休をとって爆睡しまくった結果、あらん限りの夢短編集を見まくる。

まあ休暇中は肉体的疲労は早めに消え去り、記憶処理が主になるので、過睡眠とはいっても短い期間で寝たり起きたりを繰り返すので自然と夢も短編集となるわけです。

しかも悪夢寄り。

で、その記録。

・同僚の女性(架空)が自動車を運転していたんだけど、めちゃくちゃな事故を起こし。助けに行った人が嘔吐。どうやらその女性は妊娠していたらしく、それを含めてとんでもねぇ状態になっていたらしい。おいらは嘔吐するのが怖くて、車に近づけなかった。

・電車に乗ろうと思って路線検索したらどうにもうまくいかず、何回も乗るべき電車を見送ってしまい、もう仕方ないので運転席の横にしがみついてそのまま目的地に向かった。電車は地下鉄だったから、トンネルに激突して死ぬんじゃないかと思った。

・なんか、女性と観光地的なところを歩いていた。なぜかモデル的な綺麗なひとだったことを覚えている。どこか甘味処に入って、おいらは別に甘いもが食べたかったわけではないけど、強引にあーんさせられて葛餅てきなものを食べさせられた。(これだけ悪夢じゃないな

 

旅行とか移動に関する夢は疲れを表しているらしいけど、悪夢的要素としては、夢は逆夢というとおり、基本的にはよい未来を示しているのではないかなと。

……それでいうと3番目の夢は、凶兆と思えなくはないが……。

 

で、眠り男の夢占い様を参照してみたところ。(今参照した

見知らぬ人に恋をする夢は、未知の状況に対する不安・躊躇・迷いの表れなんだとか。

これだから夢占いというか、夢診断は怖いんです。言い当ててくるから。

冒頭に書いてましたね、開発アイテムをガンガン進めつつ、新しい開発にも手を出してるって。

傍から見れば、ようやってんなーってもんでしょうけど、当人としては、それがうまくいくのか、ビジネスとして成立するのかって不安は常に付きまとっています。

開発が技術的に進めば進むほど、その不安は募る、まさにそんな状況です。

あの夢の中のきれいな人は、おいらの不安の化身だったのかもしれません。

 

徒然狸 ―タヌキの日記―

 

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縁や運について

おおっ?と思ったのは。

 

2023年11月、やっとこさ津波被害地域と真っ直ぐ向き合うに至り。

2024年11月、津波被害地域の地場産業に関わることのできる研究開発を本格化し。

2025年11月、「津波被害地域を1mm元気にする」を人生の目標に掲げ。

なんだろう、11月に縁があるのかしらん。

それとも、3.11の11に縁があるのか――。

 

縁も運命と同じようなものか、或いは同じものなんでしょう。

非科学的ではあっても、非科学とは証明されていない。

まあ、お守りの様なもの。

そんなものを、わりと大事にしているのですが。

 

最近思ったのは、くじ運について。

くじ運がいい人、っているじゃないですか。

おいらの祖母がまさにそれで、おいらも若干その能力を受け継いでいます。

これは能力なのか?

ただの偶然にたいする確証バイアスではないのか?

ふつうはそう思いますよね。

でも、思ったのは「くじ運とは勘ではないのか」ということ。

刑事の勘、とかのあれ。

この場合の勘とは、まぐれ当たりではありません。

経験や観察眼、統計的打算などなどに裏打ちされた、「なんかうまく説明は出来ねえけどとにかくこういう場合はこのパターンなんだよ」ってやつです。

くじ運も、これと同じことなんじゃないかと。

くじって、いつ、どこで、引くか引かないか、どれを引くか、というのを完全に本人が判断して実行するものです。

この過程で、無意識のうちに当たりやすいくじを選って引く、という計算プロセスが介在しているのではないかと。

 

これまでの世界ではこんなもん、証明が困難でしたが。

いまはAIがあります。

人間が何なのかなんてそれこそ1ミリも理解していないけれど、その行動パターンを分析し模倣できるツール。

これをつかえば、もしかしてくじ運の謎が解明できるかも、とかいま思いついたり。

 

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これはひどい

ってかさ

誰も見てないから四角四面なツラしてこんな内面吐露してるけど

師匠の命令通り、おいらノーベル賞とか獲っちゃったらこのブログとかもたぶん明るみに出るんでしょ?

うっわ はっず

てか薄目で見たら中二かよってことしか書いてねえし

ノーベル賞獲ったら即切腹だな

 

杞憂

徒然狸 -タヌキの日記-

目標について

おいらは今年、今回の人生の目標を定めました。

津波被害地域を1 mm元気にする」

 

震災の年に博士号を許され、社会に出たおいらは当時、こんなことを感じていました。

 

化学者として世に出たこのタイミングで災害に見舞われたってのは、つまり神様みたいな何かに、おまえちゃんと頑張ってこの国に1ミリでもいいから貢献しろよ、そのためにお前みたいなアホに学位を許してやったんだバーカバーーカ、って言われてるんだろうと理解しました。

 

これはいまも変わっておらず。

ずっとがむしゃらにやってきたのですが。

たぶん、運命ってのはあるんだと思います。

それは与えられるものなのか、自分で引き寄せるものなのかはわかりませんが。

ようやく最近になって、津波被害地域の地場産業に関わることができるものを、開発できました。

学会発表もして、様々なメディアに興味を持っていただき、地方新聞の一面にも載せていただき。

年内には中規模生産の準備段階に入り、とりまとある島に滞在して試験製造を始める段取りも組めました。

年明けには講演のご依頼もいただいています。

 

津波被害地域を1 mm元気にする」

 

巨大ななにかを1 mm動かす、それはとてつもない道のりだということを理解したうえで。

腹をくくりました。

ここまできたら、やり遂げる。

もちろん、今回の開発品がずっこけて箸にも棒にもかからない可能性は十分にある。

でもその時は、二の矢を撃つまで。

津波被害地域を1 mm元気にする」

どんな方法でもいい。このために努力し続ける。

そう決めました。

アプローチの方向は一つではない。

そのための力を、多くの恩師と、亡き師匠から授かってきました。

 

おいらのたった一つの特殊能力、「最高の師に巡り合うこと」。

これは子供のころから常々思ってきたのですが、これもたぶん、「津波被害地域を1 mm元気にする」という目標に食らいつくために天から与えられたものだったのでしょう。

それはつまり、おいらの生まれた意味。

津波のずっと前、このために生まれてきた。

神様とは用意周到なものですな。

 

でもこれは特別なことではなく、誰もがそうなのだと思います。

産まれてきた意味が必ずあって、それを探し回り、やがて見つけ、そこに殉ずるのがたぶん、人生というものなのでしょう。

 

さて、心に決めたら、逆に楽になった感もあります。

目的地を決めるのは大変なことですが、目的のための策を練るのは科学者の専門分野です。

迷路の中をさまよってもゴールできる保証はありませんが、明確な目的地に向けて右の脚と左の脚を交互に前に出せば、いつか必ずたどり着けます。

今。

まっすぐ歩み始めています。

 

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牛丼について

とあるレシピを参考にして牛丼を作ってみたのだけれど、おいらにはすこし甘すぎたので改編案をメモしておくのである。

 

・水:200 cc

・本だし:小さじ2

・醤油:大さじ1

・料理酒:大さじ1

・みりん:小さじ2~大さじ1

・砂糖:小さじ1

 

ここまでで一度味を確認、醤油・砂糖で調節する。

 

・醤油:~大さじ1

 

食材は炒めず、鍋がひと煮立ちしたら直接投入する所存。

 

・牛:1-200g

・玉ねぎ:1個

 

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夢について

子供のころからの夢があって。

最期、

自分の実験室で、フラスコを持ったまま死ぬ。

つまり、科学者になり、死ぬ瞬間まで科学者でありたいということです。

その夢は今も変わらず。

そして、「自分の実験室」をついに手に入れました。

……べつに、だから死のうって話じゃありませんが。

舞台が整ったというのは事実で。

なんだろう。

次の夢を見つけないといけない、そんな漠然とした思いが底に澱んでいたり。

 

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2011年3月11日14時46分

2011年3月11日14時46分。

 

日本人なら あーねー と思い当たるでしょうか。

東日本大震災

あのとき、あの瞬間、やべえことが起きたな、と。

でもそれは違います。

間違ってます。

全然違うんだ、こんにゃろう。

なにねぼけてんだ、ぶん殴るぞ!!!

……数日前まで、おいらもぶん殴られる側でした。

 

2011年3月11日14時46分

 

これは、東日本大震災が「始まった」日時を示します。

震災はまだ、いまだ何も、何ひとっっつ「終わって」はいませんでした。

 

――2023年10月14日 午前10時くらい。

 

おいらは福島駅にいました。

まー話せば長いんですが、書いてしまえばちょびっとです。

子供のころから長いこと化学に恋し、化学は人を幸せにするためにあると信じたおいらは、2011年3月に学位を授かり、4月からメーカーの開発者として船出をしました。

でも震災直後のこと、当初は開発どころではなく、まずは生産ライン再建のため訳も分からず現場に放り込まれてひたすら作業に追われました。

果てしない労働の中おいらは、化学者として世に出たこのタイミングで災害に見舞われたってのは、つまり神様みたいな何かに、おまえちゃんと頑張ってこの国に1ミリでもいいから貢献しろよ、そのためにお前みたいなアホに学位を許してやったんだバーカバーーカ、って言われてるんだろうと理解しました。

そして、大変なことになってる福島とか宮城とか岩手とかの現状をちゃんと知って、なんとか元気づけたいなと、他人事のように、心に思い。

そのまま、だらっだらと時が流れ、12年も経た今になってようやく、実際に福島の地へ旅立つ余力が生まれたのでした。

 

12年。

この長い長い時間の中、当初は原発爆発だ、避難だ、帰宅困難だ除染作業だとニュースで聞き及んではいましたが、それらも報道されなくなり。

――まあそうだろうな、さすがに12年もたてばなんぼなんでも震災の痕跡はかさぶたどころか、ちょっとした傷痕みたいになってるだろうな。

それでも、遅ればせながらその傷痕でもちゃんと見て、てめぇが12年前に頑張ろうと思ったその根源を再確認しなきゃいかんな、と思い今回旅立ちました。

 

さて、一人旅。

一泊二日の旅程です。

福島県は地形的に「会津」「中通り」「浜通り」の3地域に分かれています。

早い話、福島県は縦に三分割されています。

内陸側と海側が、山脈を境目にして三分割されて、それぞれが栄えている感じです。

そして津波原発事故の被害を強く受けたのは、海側にあたる浜通り地区。

東京から新幹線でアプローチするなら、中通りに位置する福島駅を活動起点とするべきと判断。

レンタカーで山地を越えて浜通りに入る計画としました。

 

当日、福島駅着。

すぐにレンタカーを借り受け、おいらは「宮城蔵王キツネ村」に向かいました。

ここは日本国内でめずらしい、キツネを放し飼いにしている動物園みたいなところで、キツネが足元をうろうろする中を普通に見て回れるのです。

絶対かわいいやつ!

……えーとね、違うんです。

おちついてください。物を投げないでください。

今回の旅、福島の今を知ることが目的で、当時の惨状を展示する資料館とかもめぐる予定だったのですが。

ちょっと一か所だけは娯楽味のある訪問地を組み込んでいたんです。

で、そのキツネ村は福島駅から(車で行けば)近いわりに結構な山の中に在るうえ、翌日は完全なる雨予報だったため、浜通りに移動するまえに訪れたほうが安全だと判断したんですよ。

 

というわけでキツネたちと戯れる。(触ることはできません、噛まれます)

当日はぽかぽか陽気で、半数くらいのキツネはのんびりお昼寝。

数十センチくらいの距離から撮影してもぜんぜん平気にしています。

超かわいい。

あと、放し飼いゾーンの中に入る扉は係の人が付きっ切りで開け閉めをしてキツネが外に出ないようにしているのですが、一匹だけどうしても扉の外に出たい様子の子がいまして。

園内を散策し終えてそろそろ外に出ようとしたおいらの足元にそのキツネが歩み寄ってきて、扉まで一緒に歩いて、そのまま一緒に外に出ようとしてて。

ヤバい超かわいい。

 

で。

再び山道を降り、目指すのは福島県双葉郡

はっきり言います。

福島第一原発事故の爆心地です。

 

あの日あの時を経験していない方のために、ざっくりご説明。

2011年3月11日14時46分。

福島県沖を震源とする地震が発生。

日本周辺での観測史上最大となったマグニチュード9.0、震源の深さ、わずか24 km。

それは、およそ聞いたことのない規模のものでした。

おいらはその瞬間、遠く離れた神奈川県の大学施設に居ました。

周囲の研究棟がガラガラと音を立て、免震構造の建物は周囲のタイルを破壊しながら滑るように大地を動き回り、立っていることも困難でちかくのなにかにつかまり

ああ、これが「関東大震災」か、来るべきものが来たのだなと「勘違い」しました。

まさかその震源が300 kmも彼方だとはその瞬間、想像もつきませんでした。

でもそんなもんはほんの序の口で。

停電した街を歩き、真っ暗なコンビニでチョコレートを買い、すし詰めのバスに乗り、かろうじて運転再開した地下鉄に飛び乗り、なんとか東京の家に帰りついた、その間に。

災害の本番は幕を開けていました。

たった数時間前まで。

のどかで栄えていた福島、宮城、岩手の沿岸地域は、海の底に沈み。

一切合切を破壊されていました。

それでも、その状況を伝えなければならなかったニュースリポータの涙声が、全国に配信されました。

のちには間近にいた方々が撮影した映像がYoutubeにアップされ、いままさに、自分の家が破壊される絶望の声が、今も残っています。

そして、福島第一原発が爆発。

原子力発電とは、簡単に言えばお湯を沸かした蒸気でタービンを回して発電するものです。

その熱源が核物質……つまり核分裂なんかの核化学を利用しているので、原子力発電と呼ばれています。

ふつうの発電なら、燃料の供給をストップすれば発熱は止まりますが、原子力発電ではそうもいかず。

核物質がその場に在り続ける限り、発熱し続けます。

これを様々な方法で制御して熱くなり過ぎないようにしているのですが、この制御には電力が必要です。

福島第一原発津波の直撃を受け、原子炉を制御するための電源を喪失しました。

復旧のための現場の懸命な復旧作業も力及ばず、原子炉は過熱し、爆発。

放射性物質が噴出し、一帯は人間が居住できる状態ではなくなってしまったのです。

 

――宮城県側から常磐道に入り南下、福島県を目指す。

基本的に対面通行のため、70km/h規制でののんびりした走行の中。

どこにでもある速度規制標識などに混じり、ときおり、見慣れない表示が目につきました。

赤いLEDの表示で

「0.10μsv/h」

という文字が過ぎ去っていく。

その地点での放射線量表示でした。

……それが怖い数字でないことは分かります。

日本人の放射線被ばく量は、健康診断のレントゲンなどなどを合わせるとだいたい0.7μsv/h。

だから0.1などという数値はほとんど誤差レベルです。

しかし。

その数値は、双葉郡に近づくほどに増大していく。

0.1――0.2――0.4――0.6――。

そして常磐道を降り国道、「1.2」の数値を見て。

海沿いに、かつて町だったはずの、茫々たる平原を見て。

ほんとうに、どこまでも何にもなく広がる平原を、蟻の一歩のように僅かずつ町作らんとする膨大なショベルカーを見て。

いまもそこかしこにある、風に揺らぐ廃墟を見て。

ここまでの物を自分の眼で見て、ようやく「なにも終わってないのだ」と理解しました。

 

――廃墟がそのまま残っている。

たぶん想像するのは、壊れかけた家があって、その周りが立ち入り禁止の柵とかで囲われている感じじゃないでしょうか。

そういう廃墟もあるにはありますが。

大半は、何にも囲われず、普通に在りました。

触ろうと思えば触れるし、入ろうと思えば入れる。

なぜ??危ないじゃん??

理由は簡単。

入ると危ないから入らないでほしい場所が多すぎて、いちいち囲ってる労力も資材も膨大になるからです。

管理しきれない廃墟が当たり前に乱立している。

それが日本の町中に在る。

すさまじい衝撃でした。

 

双葉駅周辺を一時間ほど歩き、車でさらに遠くまで見て回り。

……まあ、根が臆病者なので、旅程はかなり余裕を見て組んであって。

キツネ村に寄り道してなお、割と時間に余裕があり。

当初計画していたよりは早い時間でホテルに入るにはもったいなかったので、翌日に行こうと思っていた場所に向かいました。

浪江町(なみえまち)にある請戸小学校(うけどしょうがっこう)です。

 

浪江町福島原発と同じ、あの絶望的な津波の直撃を受けました。

その海辺にあった請戸小学校も、無事では済まないどころか、壊滅的な被害に遭いました。

14時過ぎ。

多くの児童はまだ学校にいる時間帯でした。

しかし、先生方の「とにかく高台へ逃げろ」という指揮のもと、児童全員が山の上に避難し命を取り留めたという、奇跡の小学校ともいわれています。

この学校は二階建てで、生々しいことに一階部分は文字通り壊滅し、二階部分は当時の姿をとどめています。

現在は震災遺構として保存されており、一般観覧が可能になっています。

資料館になっているという感じでは全くありません。

最低限、訪問者が危なくないように措置を施されていますが、ほとんどすべてが当時のまま、遺されています。

なんだったら、津波の被害を受けなお生き残ったその建物、そのものを手で触れながら観覧することも可能です。

逆に言えば、この場所でふざけると本当に危ないので、小さなお子様連れなどは注意が必要です。

そんな老婆心が出るほど、すさまじい場所でした。

廃墟であり、今にも崩れ落ちそうな構造物があり、吹き溜まりのように押し込まれたがれきがあり、いすや机の残骸や、泥まみれになったぬいぐるみなんかがそこら中に転がっており。

海水に洗われた木の床はそれこそ大波のように変形していて、そんな中にも当時の小学校生活を思わせるかわいらしいタイルだとか、張り紙だとかが今もまだ残っており。

筆舌に尽くしがたいとはこのことだと思います。

地震津波に対する怒りとか悲しみとか恐怖とか、当時の学校生活を思うほほえましさだとか、そのとき子供たちが、先生方が何を感じだのだろうという戦慄とか。

すべてがないまぜになって一度に自分の中に流入するのを感じました。

どういう感情とか理解できません。

「なんで」

というような鈍重な思いが、頭の中を渦巻いていました。

 

中庭に出ると、津波を想定したものだったのか、コンクリート造の高台が建設されており。

その上部に設置されている時計は、15時39分で停止していました。

地震発生からおおよそ1時間後。

あれ?震災の時間と違うな?と一瞬おもったのですが。

それが、津波の直撃した時刻でした。

 

――そういえば、当時トヨタのCMで、北野武木村拓哉が震災地をまわり、最後に海に行って。

北野武が海に「バカヤロー!」って叫ぶのがあって、好きでした。

たくさんの人々の生活、時間をかけてこつこつ頑張って積み上げてきて手に入れた、ささやかな幸せを多分に含んでいたはずです。

そいつを、有無を言わさず叩き潰した津波、海。

だれも、だれにも文句を言えないことを、北野武があえて言葉にしてくれたあのシーンを、僕は好きでした。

だから、いまさら恨み言を言ってもしかたないけれど、でもあの海だけはまっ直ぐ向き合っておかねばならない、みたいな思いがありまして。

福島の海を見ようというのもじつはこの旅の小さな目的の一つでありました。

 

だけど実際いってみて、ちょっとあれっとおもう。

あれが海辺の堤防かな?とおもうエリアはあるのだけれど、車で道を走れど走れどそこに近づく気配がない。

海が、全く見えないんです。

いや歩いて行けよ、って感じですが、なんというか、茫々たる空き地が道路と堤防とを隔てていて、歩いて入っていいのかどうかもわからない。

そんな景色が延々と続いていて、なんじゃこりゃ、とおもっていました。

その疑問も、請戸小学校の展示を見て氷解しました。

請戸小学校の周辺がどうなっていたか、どこに誰さんが住んでいたのか、というのを緻密に再現したジオラマが展示されていて。

茫々たる空き地だと思っていたのは、かつて立派な町だったことを知りました。

もう何度目かわかりませんが、衝撃でした。

せいぜい、田んぼでもあったのかな?と思っていた海沿いの広い空き地が、町だった。

言葉を失いました。

 

――夕刻。

予約してあったホテルにチェックイン。

これも見渡す限り茫洋たる平原の中、復興の礎とばかり胸を張る富岡ホテルを選びました。

福島原発にも近く今回の旅の目的に沿っているうえ、綺麗で風呂トイレ別で飯がうまいというスケベ心があったことは否定しません。

自販機のビールやチューハイの価格も非常に良心的で、ロビーではおつまみも豊富に取り揃えております。

福島県産の海苔を使用した韓国海苔など法外に安いレベルなのに超おいしくて、おいらはそれだけで缶ビールだの缶チューハイだのを2Lは飲みました。

きっと清掃に入ったメイドさんキチガイが来たと思ったことでしょう。正解。

いやよかったわ富岡ホテル。

超おすすめです。

富岡ホテル。

富岡ホテル。

浜通りなら、富岡ホテル。

 

おっと、心のCMが漏れ出てしまいました。

 

さて、

 

ただ意外?なことに。

ホテルの窓から海が見える。

福島に入って、たぶん初めてみる海。

歩いて行ってみる。

JR富岡駅の近くで、復興の最前線であるためか、堤防の間近を通る車道もきれいに整備されていて。

ふつうにアスファルトの坂道を歩き、ふつうに堤防の上に登り、見えたのは。

ふつうの海。

ただの太平洋。

この海が、たくさんの生活を、命をさらっていったなどと、思えないふつうの海。

どこにも何もぶっつけようのないあたりまえの風景。

でも振り返れば、堤防からホテルをへだてる、なにもない平原。

何を思えばいいのか混乱しました。

どこにもぶつけようのない、湧き上がる思いを、どこにもぶつけられぬ。

そんな思いがこの土地にはあったのか、いまもあるのか。

だとすれば、最悪の災厄を生き残られた方々は、どれほど巨大なものをその内に押しとどめておられるのだろうか。

そんなもん、おいらが推し量ろうとするのは失礼というか、お門違いですが。

 

――それほどのものが、同じ日本の中に存在するのだなと、その欠片だけはこの胸に大切にしようと思いました。

 

請戸小学校内、かつて教室だった空間の片隅

 

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