徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

血清とヒト由来培養細胞

最近、ウシ胎児血清というものを使っていまして。
これはまあ、細胞を培養する際の総合栄養剤のようなもので、培地に10%ほど混ぜると細胞がよく育ちます。
人間だってスッポンの血を飲んだりしますし、マスターキートンは砂漠に置き去りにされた際、ジャコウネズミの血を嘗めて水分と栄養、ミネラルを補給していました。
植木に与えるHB101のようなものですね。
ただ、使っていてふと思う。
何故ウシなのか。
なんで胎児なのか。
胎児が死んじゃうじゃん。
超かわいそう。
勉強してみました。
 
「なぜウシなのか」
ウシは体がでかいので、一頭当たりから取れる量が多い、というのが大きな理由だそうです。
これはコストを下げる以外にも重要な点があります。
血清というのは血液から血球細胞などを除去したものなので、成分(例えば脂質の量)はウシ一頭一頭により違い、ウシの血統や種類、飼料や環境、飼育牧場や生産国に大きく左右されます。
そしてそれは、培養細胞の成育に影響を及ぼします。
つまり、買うたびに全然違う血清になってしまうのでは困るわけで、業者はなるべく品質のそろった血清を大量に確保する必要があります。
そのため、一頭あたりから沢山の血液が得られるウシが有利なわけです。
 
「なぜ胎児なのか」
血清には多くの栄養分がバランスよく含まれていますが、そのほかに増殖因子(細胞分裂を促進させる物質)というものが含まれており、これが非常に有用なわけです。
また、血清には同時に増殖抑制因子も含まれており、これは細胞分裂を抑制します。
生体内ではこの二つの因子をバランスよく発現させることで、細胞分裂をコントロールしているものと思われます。
しかし細胞を培養する際にはこの抑制因子は邪魔です。
ウシの体内の血清には、この抑制因子が仔ウシ血清やウシ血清に比べて少ないか、あるいは含まれていないため、多くの場合細胞の培養に向いています。
また、含まれる脂質の量も、ウシ胎児血清が一番少なく、ウシ血清で一番多いようです。
 
「胎児が死んじゃうじゃん」
「超かわいそう」
確かに血清を採るためには胎児を殺すしかないようです。
しかし、血清を採るために殺しているわけではないのです。
例えば乳牛を繁殖させるとき、出来た子供が牡だった場合、普通は堕胎させるそうです。
牡の乳牛から牛乳は採れないからで、自然出産させるよりはコストもリスクも抑えられるためと思われます。
そういった堕胎された(またはされる予定の?)ウシ胎児から、血清を得ているそうです。
確かにかわいそうな気もしますが、特に非人道的というわけではないのですね。
 
番外編「何故みんなヒトの細胞を使って研究しないの」
培養細胞を使った医学的研究は広く行われていますが、ヒトの細胞ではなく、マウスなど動物由来の細胞を使うことが多いようです。
大きな理由は二つあります。
まず、ヒト細胞は動物細胞に比べて不死化が難しい点。
細胞の寿命はテロメアというDNA鎖の長さで決まります。
細胞分裂が起こるたびにこのテロメアが少しずつ短くなり、それ以上短くなれなくなったときが細胞の分裂寿命です。
培養細胞も同じで、原理的には一定の回数分裂すると、もうそれ以上は分裂しなくなります。
しかし、テロメアを修復するテロメラーゼという酵素があります。
このテロメラーゼは短くなったテロメアを長く修復してくれるため、テロメラーゼが沢山あれば細胞は不老不死となります。
動物細胞ではこのテロメラーゼの活性が高いことが多く、培養細胞にした場合、細胞が不老不死になりやすいのです。
しかしどういうわけかヒトの細胞ではテロメラーゼ活性が弱く、培養系でも分裂寿命に縛られます。
(癌細胞など例外はあります。ヒト由来癌細胞として広く使われているヒーラ細胞は1951年にある女性から採取させたもので、今も世界中で生き続けています。ヒーラ(HeLa)はその女性の名前からつけられました)
そのため、ヒト細胞は動物細胞にくらべ、扱いが難しいのです。
 
また、コストの面もあります。
動物由来培養細胞というものが一般的に研究に用いられるようになったのは70年代ごろですが、ヒト由来細胞が使われ始めたのはさらに最近らしく、培養技術はまだ発展途上にあります。
例えば、動物由来細胞を培養する際によく用いられる培地に、E-MEMというものがあります。
これは、イーグルズ ミニマム エッセンシャル メディウム……最小構成培地というもので、数十種類の物質を混合したものです。
使用する際はこの市販粉末を水に溶かし、目的に応じてさらになん種類かの物質を投入すれば完成という、言わばインスタント培地で、比較的安価です。
しかしヒト由来の細胞を培養する場合はそうはいきません。
ヒト細胞に使用できる最小構成培地はまだ存在しないらしく、そのまま使えるよう完璧に調製された液体培地を使うしかありません。
これは非常に高価で、何百ccあたり何万円、という世界です。
これが、そう簡単にはヒト由来細胞を使えないもう一つの理由です。
 
以上、携帯から2100文字でお送りしました。

 
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旧友達と二年ぶりの会合。
女性読者に配慮し、会合での会話は一切明かさないこととする。
……全員悪い意味でオッサンになりつつあることを確認した。





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