徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

懐かしのアレ風

最悪だった。
昨日あれほど肝に銘じておいたはずが、最後の最後、致命的な失態を演じた。
まさか目覚ましのスイッチを入れ忘れるとは……。
月曜日の1限は「固体化学」の講義だった。
普段は授業などほとんど休んだことのなかった俺だが、どういうわけかこの固体化学だけは、ミスや勘違いで既に2度も欠席してしまっていた。
…もっとも出席したところで、朝っぱらから波動方程式三角関数の飛び交う授業内容はもはや理解不能ではあったが。
「あーもう……」
布団から上体を起こした姿勢で、灰色の天井を見上げると、背骨がボキリと鳴った。
 
――西暦2006年、初冬。
 
昨日から降り続いている雨はようやく勢力を失いつつあったが、それでも朝の路上は十分に湿っていた。
これでは傘をささなければなるまい。
予報では昼過ぎには止むようであるから、傘なしで駅までダッシュする技も使えそうではあったが。
前にいちど弥生に見つかってしかられて以来、この技は封印する約束になっていた。
それにいずれにせよ、今更ダッシュしたところで授業には間に合わない。
ふたたびうんざりしながら俺はリビングに降りた。
 
食卓にはお袋が作った朝飯が一人分、ラップをかけてあった。
…そしてその脇にはメモが2枚。
1枚目は弥生だ。
控え目なサイズの字が整然と並んでいる。
「おはようございます。
冷蔵庫にりんごがありますよ」
…ウサギ型りんご発見。
そういえば今日は早くに家を出ると言っていたが、その前につくって行ったのだろう。
マメだ。
そしてもう1枚のメモを見る。
こちらも整ってはいるが、元気のある丸文字だ。
「遅刻おめでとう☆」
…こんなことを書く暇があったら起こしにこい遥。
しかも右下には小さく「祝3回目 記録更新中♪」などと書き添えられている。
何故バレているのだろう。
油断のならん奴だ。
 
…SE―2を終え、SPACEから2度目の帰還を果たしてから、8度目の冬がもうじき訪れようとしていた。
本日の最高気温は17度。
まだ冬というほどの気候ではないが、一歩外に出ると、それでも大気ははっきりと冬の匂いを帯びていた。
白く色付いた吐息が、灰色の空に吸われてゆく。
この雨も、そう遠くないうちに雪にかわるかもしれない。湿ったアスファルトを踏み締めながら、俺はそんなことを考えていた。





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