徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

地図にない島について 毒ガス編

 
2015年12月7日。
ぼくはある島にいた。
本土からほど近く、十分に視認でき、決して孤島などではない。
にもかかわらず、かつて地図から消された島。
瀬戸内海、広島県沖。
大久野島――通称『うさぎ島』。
 
C兵器、すなわち毒ガスなどの化学兵器は古くから大量破壊兵器として知られ、またその残虐性から国際的に使用が禁止されてきた。
1925年のジュネーヴ議定書をはじめ、20世紀初頭から化学兵器は明確に規制されていく。
しかし各国はそれら禁止条約をほとんど無視する形で化学兵器を製造、貯蔵し、戦場へ持ち込み、時には実際に使用しさえした。
そして日本もまた、その例外ではなかった。
というよりも、日本は化学兵器を積極的に戦争に取り入れた国の一つだった。
 
20世紀初頭、他の武装先進国と同様に日本でも化学兵器、とくに毒ガスが秘密裏に製造されていた。
当初の生産拠点は関東地方であったが、1921年関東大震災を契機に生産拠点を地方へ移動させる案が浮上。
その移動先として選ばれたのが大久野島である。
大小の小島がひしめき合う瀬戸内海の制海権を担保するにあたり、大久野島はもともと重要な戦略拠点に設定されており、砲台が設置されるなど一種の要塞島となっていた。
実際には大久野島が軍事拠点として機能したことはなく、砲台も未使用のままだったが毒ガス工場を秘密裏に設置するには格好の島であった。
 
大久野島で主に生産された毒ガスは「きい剤」こと「びらん系」の毒ガスだった。
皮膚に付着すると激しくただれ、吸い込めば肺胞がただれ、しみ出したリンパ液が肺にたまり呼吸が阻害され「溺れ死ぬ」。
銃が人間の体の内部を破壊する道具であるとすれば、びらん系の毒ガスは人間を表面から徹底的に破壊する物質だった。
しかし建設された工場は、一般には農薬などの「化学物質」工場であると偽られ、記念写真とともに活気ある稼働を開始した。
作業員は一般人のほか、学徒・女学生も動員された。
化学兵器用の重装備での工場勤務はきつく、また薬剤による健康被害もあったが、一日の作業が終わると明るい話し声や笑い声も沸く、それはまるで普通の工場のようでもあったという。
一方で毒ガスという秘密兵器の生産拠点となった大久野島は、その存在を隠ぺいするため日本地図から消された。
 
そして日本は毒ガス兵器を用い、とくに1937年から始まった日中戦争では毒ガスによって多くの中国人が殺傷された。
 
最近のニュースで、中国で旧日本軍の毒ガス兵器が発見され健康被害がどうの、というのがあったのを覚えているだろうか。
なんでいまごろ、と思われたかもしれないが、そうでもない。
日本が毒ガス兵器を生産し、使用していたことは敗戦後も隠ぺいされ、一般に発覚したのは実に1984年になってからだった。
 
戦後、大久野島は一時的にアメリカの占領下におかれたが、やがて日本に返還された。
そして今では一種のリゾート地である「休暇村」が設置され、島唯一の住民である700羽のうさぎが旅行者を出迎えてくれるおとぎ話のような島となった。
それだけに、散策するうちに次々と現れる廃墟は実に静かな恐ろしさを感じさせる。
 

 
【参考文献】
 
大久野島と毒ガス
http://homepage3.nifty.com/dokugasu/qa.html
うさぎのち毒ガス跡、ときどきラピュタ
http://guide.travel.co.jp/article/8729/
化学兵器禁止条約と日本の戦争責任
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/03/bupin_gas.htm
大久野島の概要
http://dokugas.server-shared.com/new_page_32.htm
 
徒然狸 ―タヌキの日記―
 

筆者は盲導犬を尊敬し、個人的に応援しています。
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