徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

…書くべきか否か散々迷ったが、やはり書くことにした。そういうわけで、昨夜俺が体験した恐怖を書き残して置く。
いや、おそらく閲覧者諸兄は信じないか、あるいはあまりに陳腐な話なので笑いとばすであろうことは容易に想像できる。
俺自身、いまだに信じられないし、夢だったと思いたい。
夢であったらどれだけいいだろうと切に思う。
だが、実際に我が肉体が経験したという事実は変えようがない。
あまりに怖いので、書いて気を紛らわす。
 
昨夜0時半ごろ、就寝前に布団に寝転がり、本を読んでいた。
ブツは浅田次郎のエッセイ『勇気凛凛ルリの色』。
大変に面白いのでお勧めであるが、今はそんなことはどうでもよろしい。
そんな中、ふと尿意がおとずれた。
丁度一話読み終わったところだったので、俺は自室を出てトイレに行こうと思った。
とたんに、鬱が襲って来た…最初はそう思った。
が、違った。
不意に感じた『ものすごく嫌な予感』を、そう誤解しただけだった。
この部屋を出たらヤバイと、はっきり思った。
見れば、部屋のドアは5センチほど開いており、家族はすでに寝静まっているのだろう、ドアの隙間から見える部屋の外は真っ暗だった(これは別に珍しいことではない) 。
トイレは部屋を出てすぐである。
しかし俺は、どうしても部屋から出たくなかった。
ドアを開けるのが本能的に怖かった。
理由は分からなかったが、単純にドアに触れたくなかった。
俺はしばし、部屋の中央で立ち尽くした。
しかし相手は尿意であるから、いつまでもそうしてはいられなかった。
幽霊を怖がる子どものような自分を無理に嘲笑して、俺はドアに手を掛けた。
…同時に、ドアの隙間の暗闇からすっと伸びてきた手が、俺の手首を掴んだ。
心臓が飛び上がった。
青白い手は、驚くほど冷たかった。
正直シャレにならなかった。
思わず『うおっ』と小さく叫んで手を引っ込めると、向こうの手は振りほどかれて、また音もなく闇に引っ込んだ。
飛び退いて、ドアを凝視した。
心臓の鼓動がはやく、全身には鳥肌がびっしり立っており、しばらくそのまま動けなかった。
頭の中は、これが夢である証拠を必死に探していた。
後から考えると、よく漏らさなかったと思う。
余りのことに、脊髄反射すらも麻痺していたのかもしれない。
…兎も角、5分後か10分後か分からないが、ようやく全身の硬直が取れ、なんとか冷静になれた。
寝ぼけていたんだろうか。
しかし、手首には痕こそないものの、つめたい筋張った感触ははっきりのこっていた。
家族のいたずらか。
いや、親父もお袋も夜中にそんな馬鹿なことはしないだろう。
…不意に忘れていた尿意が戻って来た。
しかしさすがにドアを手で開ける勇気はなかったので、木刀をドアの隙間に差し入れ、ゆっくりドアを開ける。
誰もいない。
そして木刀を携えたままトイレに行き用を足し、部屋へ戻る間も、それ以降も、最早何もおこらなかった。
 
あれは何だったのか、いまだに納得の行く説明は付かないでいる。
…ただ、昔から俺はこの部屋について、気になってることがあった。
俺の部屋は、鬼門にドアがあり、裏鬼門には窓がある。
しかも窓の外は神社であり、目と鼻の先を川が流れているのであった(水辺は『そういったもの』が集まりやすいらしい)。
挙句、このマンションがある場所は、昔火葬場だったという(このマンションの施工責任者?が親父であったことから信憑性の高い情報)。
つまり、まさに『通り道』的なロケーションである。
今回のことはやはりそれと関係があるんだろうか。
一応科学の道を歩んでいるから霊なんてものは信じないことにしている。
しかし、こんなことがあると、その考えも最早意味を成さない。
…兎も角、当分の間、トイレには木刀を携行する予定である。
誰か助けて…。





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