徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

バックパック

K少佐にバックパックを否定される。
「見てくれがアレでいやん」らしい。
バックパック派としては異議アリである。
 
そもそもバックパックは、人間がモノを運ぶための道具として、その利便性とエネルギー効率を追究して設計されたものである。
まずその内容量。
まったくもって申し分ない。
ショルダーバッグやハンドバック一つで出張に行けるものなら行ってみろ。
また、どんなに荷物が入っても扱いづらければ意味はない。
しかしバックパックは、まさにその点に於いて非常に優れた構造を有していると言える。
そもそも人間は何かモノを持った時どこでその重量を支えるのか。
背骨である。
背骨はS字型をしているが、これは上から荷重がかかった際、スプリングの如く作用して肉体にかかるダメージを軽減する働きがある。
つまり、人間が荷物を運ぶもっとも効率のよいやりかたは、背骨の真上に荷物を置くことである。
どこぞの原住民が重い荷物を運ぶ時、頭の上に載せているのを見たことがあるだろう。
あれは理論上もっとも効率的な荷物の運び方であり、彼らはそれを自然に学び取っているのである。
ただ問題なのは、首をある程度鍛練しておかなければならないという点。
また、頭上に重い荷物を載せると重心がどうしても高い位置に来てしまい、不安定になるという点である。
そこで、バックパックの登場である。
 
背骨の真上に荷重をかけるのがもっとも効率がよいのは前述のとおりだが、バックパックは背中に背負うモノであり、自然、荷重は両肩にかかる。
なんだ、言っていることが違うではないか、という感じだが、そうではない。
肩は背骨に直結しているため、両肩に等しく荷重を掛けてやれば、荷重はそのまま背骨に逃げるのである。
また、背中、即ち背骨に密着させて背負うことにより、その重心は背骨に限り無く近付く。つまるところバックパックは、頭の上に荷物を載せるのとほぼ同じであるということができ、非常に優れた道具なのである。
そのうえ背中に密着することで、バックパックを含めた体全体の重心が安定し、運動の制限を受けにくいのだ。
もちろん服装との兼ね合いでバックパックが使用できない場面も多々あるが、バックパックにもっと敬意を表し、全否定はやめていただきたい。

 
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塩基性溶液はガラスとの親和性が強いため、ガラス器の中で加熱すると沸騰しにくく、突沸が起きやすい。
へーへーへー。





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