徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

学園祭と詭弁

集中講義二回目。
キャンパスは学園祭らしく、学生達が猖厥を極めている。
なんの影響か今年は運営学生や参加団体が少ないらしく、大型看板設置スペースは半分以上空いているし、キャンパス中央部を外れると急に閑散とするが、静かで結構である。
私が中学生の頃校舎として使用していた棟は現在、大学の校舎となっており、喫茶店だかなんだかの看板が窓に貼られている。
当時の文化祭を思い出す。
 
中学では天文部に所属していたが、普段の活動は太陽黒点の観測程度だったので、文化祭での展示は専ら手づくり模型になる。
なので、文化祭が近づくと天文部は工作部の様相を呈してくる。
ハンズまで材料を買い出しに行き、ブラックホールに吸い込まれる物体の軌道を再現したモデルやオールト雲の模型、星座模型、マーズパスファインダーに搭載されていた小型探査車ローバーの実動模型、等等をせっせと製作した。
毎年展示大賞をいただいていたものだ。
 
昔に帰りたいか、というような無い物ねだりの問いかけがある。
私の答えはNO。
置いて来たものは沢山あるが、培ってきたものも沢山ある。
それらを秤にかけることは出来ない。
或いは、いまの生活は中学や高校の頃より詰まらないものかもしれない。
しかしそれは誇るべき事である。
振替ってさえ楽しめる過去を構築してこれられたという証なのだから。
陰があるから陽という概念が生まれる。
コントラストがあるから、楽しいという感覚が生まれる。
定常状態近似のような生き方をしてもなにも面白くない。
そうならなかった事を幸福に感じるべきなのである。
……今幸福でなければ意味がないと思われるだろうか。
しかし人間に、厳密な「今」は存在しない。
いかに神経インパルスが高速であろうと、入力された情報が知覚されるまでにはタイムラグがある。
我々が「今」だと思っているのは、「限りなく今に近い過去」でしかない。
つまり我々は、常に過去を構築しながら生きていることになる。
人間の財産は統べて、過去にしか存在し得ないのである。
 
……鬱々と講義を聞きながらそんなこととを思ったりしていた。





 NHK(日本放置協会)は放置される側の団体です。