徒然狸 -タヌキの日記-

マスク越しの、夏のにおい……。

数行小説の利用について

どこかで見た風景、感じた情景を大切に残しておきたいと思うことが時々あります。

おいらは絵が描けない。

でも文章なら少しは描ける。

なので、そういう残しておきたい風景や情景を文章にして書き残しておく習慣があります。

20年ほど前から「数行小説」と呼んでいて、まあ実際は数行から数十行ですが、散文詩のようなそういうやつです。

この情景を大事にしたい・忘れたくないと思ったとき、自分が感じたことのエッセンスを形にして残しておくことはとても有意です。

記憶心理学によれば、人間は一度記憶したものを忘れることはないそうです。

でも、思い出せなくなることはある。

データとして残っているのだけれど、それを引き出すことができなくなってしまう。

これが一般的に言う「忘れちゃった」状態です。

でも一度覚えた記憶は失われない。

適当なキーワード、つまり検索ワードさえあれば、忘れちゃったことも思い出すことが可能なのです。

数行小説はその検索ワードに当たるわけです。

 

この数行小説を使って「風景画」を描いてやろうとかも最近ためしてますが。

もっと面白い利用法を思いつきました。

夢の保存です。

 

おいらは夢を見るのが好きです。

意図的に夢を見るため、「過睡眠」といって休日とか、12時間以上浅い睡眠状態を保ち続けることもあります。

ほとんど趣味です。

夢に出るのは、ありえないような悪夢もなくはないですが、たいていは現実の拡張。

自分の知っている(または知っているような気がする)場所に滞在しているのですが、細部が現実と異なっている。

自分ちに今まで知らなかった小部屋を見つける、なんて典型的です。

そんななか、経験したこともないような情景に出会えることが非常にまれですがあります。

ファンタジックな風景画のようにきれいで、物悲しいような。

忘れたくない透明な美しい情景。

そうか、こういうのを数行小説にしておけば、忘れずにとっておけるのだなと思いました。

たとえば、

 

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突然告げられた別れ。
夕暮れの迫る峠道だった。
すべての感覚が遮断されたような気がして。
――やがて、緑を含んだ湿った大気のにおい、靴底に踏む土の感触、おだやかに吹き降ろす風、そして周囲の風景がのろのろと再認識されていく。
流れた視線の先。
深い緑に包まれていたはずの山々。
その端々はいつのまにか茜に陰り始めていて、それでも輝いていて。
こんなにも美しい世界の真ん中で、どうしてぼくらふたりがこんなにも悲しまなければならないのかと。
思考は悲嘆でも逃避でもなくただ、素直な絶望の色をしていた。
まいにち歩いてきた峠道。
歩いてきたんだ。
いつだってふたりで。
いつしか、人生の道をもふたりで歩もうとし始めていた。
でもそれも――だめになって。
彼女がぼくの手のひらに、ゆっくりと落とした指輪はこの世の悲しみを統べて詰め込まれたような、とてつもない重量を含んでいて。
ほんの数舜、指輪をぼうっと見たあと、ぼくはそれを力いっぱい握りしめて。
太陽を探した。
峠道。
深い山間を望む。
谷底は川なのか涸れ沢なのか、それすら覚束なかったけれど。
高度を失いつつある太陽は、ぼくたちをまだ確かに照らしていた。
握りしめた指輪を山間に向かってぼくは、力いっぱい投げた。
指輪はくるくる回りながら、陽の光をなんども受け止めて煌めき、消えていく。
崩れ落ちそうな気配を感じたけれど。
彼女の涙を見るべきではないと思った。
「悲しいな」
どうしようもないほどに美しい山並みを見つめたまま、ぼくはたったそれだけを言えた。

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というような情景。

小説と言いつつ、ある意味フィクションではないというのも興味深いところ。

こんなドラマみたいな風景、本物の経験ではないのですが。

でもこれは実際に、自分の脳が経験したことなんです。

自分の神経回路が主観的に「確かに見た」風景なのです。

本物の現実ではないけれど、でもフィクションよりは明らかに高次元のもの。

不思議な記憶情報です。

夢の数行小説化、励行しようと思ってます。

 

徒然狸 ―タヌキの日記―

 

筆者は盲導犬尊敬し、個人的に応援しています。
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