科学技術系サラリーマンとなり、後輩のレポートの添削、論文や教科書用原稿の代筆なんかを経て。
つくづく有り難いと思っているのは日本語作文能力です。
ふつうに、日本語で文章を書く力。
就職して、上司から重宝がられてはじめて、あ、これって「取柄」なんだと気づきました。
この力の根源は何でもない、ただ、小説を読みまくっただけ。
幼いころ「青い鳥文庫」を買い与えられたのを皮切りに、中学の頃には「ハヤカワSF」(海外作家のハードSF作品の訳本)を(読みたいやつだけ百数十冊ていど)読破。
訳本にどっぷりつかったところで、ネットで知り合った方に森博嗣「すべてがFになる」を勧められ、日本語文学の美しさに感動。
たちまちシリーズ読破。
続いて浅田次郎にハマり、数年前に既刊を読破。
新刊待ちしている間に新田次郎を読破。
さらに新刊待ちしている間に、山岳遭難のドキュメント本をあらかた読みつくす。
池井戸潤のドラマ化作品は瞬殺。
のこりをつまみながら、周囲の人間にお勧めの作家を聞いて回る今日この頃です。
(浅田次郎さん、死ぬときは死ぬといってください。知らずにいると永遠に新刊を待ち続けます、忠犬がごとく)
さて、総括すれば30年間、小説+読みたいものを読みまくっただけ。
べつに、浅田・新田W次郎を省けばこの作家は全部読んだとか、このジャンルは全部読んだとか、なにかを極めたわけでは全くありません。
努力なんぞ全くしていません。
暇をつぶしただけです。
速読でもなく、ただのーんびり、読んで楽しんだだけ。
読むのは娯楽ですから、つまり30年間放蕩の限りを尽くしただけ。
なんなら国語の授業はつまらなくて中高と完全に寝ていましたごめんなさい、ですが。
なんでだか、日本語作文が上手になっていました。
多分ですが、きちんとした文章を読み続けると、きちんとしていない文章に違和感を感じる。
これが作文能力の本質なんでしょう。
自分で書いた文章も、どこかおかしければ、自動的に違和感を感じる。
文法なんか知らんけど、試行錯誤して違和感のない文章に書きかえれば、それが実は日本語として正確なものになっている。
自分が気持ちよくなると、それが自然と正道を踏んでいる。
奥義ですね。
世のお母さん方。
お子さんに小説、与えたほうがいいですよ。
本人は遊びまくってるだけのつもりが、社会に出たら重宝がられるんですから。
徒然狸 ―タヌキの日記―
筆者は盲導犬を尊敬し、個人的に応援しています。
中部盲導犬協会:http://www.chubu-moudouken.jp/
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