あの町について
2012年夏――
ぼくは三重県H市にいた。
入社の2011年当時、東日本大災害と、それに次ぐタイの大水害によりわが社の生産ラインは混迷を極めた。
ぼくは入社直後から工場の応援に回され、年明けまでライン作業に従事した。
そしてようやく本来の開発業務に慣れ始めた2012年の夏。
遠く三重県にある子会社の工場への単独での長期出張が言い渡された。
・・・とはいってもラインに入れということではなかった。
その工場ではあるジャンルにおいて世界一の性能を誇る製品を生産していたが、その不良率が極めて高まっていた。
現場の判断や本社からの遠隔技術支援ではどうにもならなかったため、現場に密着してその原因を解析し対策を講ずることがぼくの任務だった。
現地では車がないと生活できないとのことだが、こちとら御生憎様のペーパードライバー。
現地入り初日、工場でのあいさつ~状況確認、レンタカーの受け取り、生活必需品の調達~マンスリーアパート入居まで上司に付き合っていただいた。
そして翌朝から、たったひとりでの自動車生活が始まった。
最初は本当におっかなびっくりだった。
H市はそれほど人口の多い町ではないが、それでもなるべくほかの車の少ないうちに出社するため、アホほど早い時間に家を出た。
出社ルートも帰宅ルートもカーナビをセットしないとあっという間に迷子になった。
とにかく周囲の動きを見て安全運転するだけで精いっぱいだった。
休日もスーパーに出向き、買い物をしてさっさと帰宅して、あとは引きこもっていた。
しかししばらくすると、徐々に慣れて来た。
三重県。
名物は?と問われると一瞬逡巡するかもしれないが、まず伊勢神宮がある。
伊賀の忍者の里がある。
工場の人に聞けば近くの高原にある風力発電施設は壮観らしい。
ちょっと足を延ばせば奈良の鹿に餌をやりにも行けるし、そこまでいかなくとも隣町ではうまいウナギが格安らしい。
そういえば出勤ルートのそばにあるうどん屋もうまそうだ。
地図を見れば海も思いのほか近い。
志摩まで足を延ばせばバケツ一杯の焼き牡蠣が食い放題らしい。
――科学技術者になるという夢をかなえるため、学生時代は常に自己抑圧傾向にあった。
自由気ままに遊びまわるという経験があまりなかった。
単独での工程改善任務は多忙を極めたが、余暇には与えられた車で自由に移動し、見たいものを見、食いたいものを食い、山里の空気をいっぱいに吸い込む。
嵐の日まで山にドライブして濃霧にまかれたり、早秋には凍結を始める峠道にしっぽを巻いて逃げ帰ったりなんてこともあったが。
東京で生まれ育ったぼくにとって、田舎の景色、澄んだ空気、素朴な名物――そしてそれらを内包する空間そのものが切望していたものだった。
三重県は、これまでのぼくの人生のなかに溜まりに溜まっていたご褒美を、一度に授与してくれた場所となった。
2013年早春、任務を完了し三重県を去るとき感じたのは、ほとんど喪失感だった。
ワンルームアパートの一室さえ、もう二度と足を踏み入れることはできないと思うと胸が痛んだ。
・・・老後になるのか、或いはもっと近い未来になるのかはわからないが。
世のしがらみから抜け、どこへなりとも自由に行って生活できる時が来たならば。
あのアパートの辺りをまずは候補にしようと 、ひそかに夢見ていたりする。
徒然狸 ―タヌキの日記―
筆者は盲導犬を尊敬し、個人的に応援しています。
中部盲導犬協会:http://www.chubu-moudouken.jp/
日本盲導犬協会:http://www.moudouken.net/
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