徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

歌と思ひでについての糞日記

休みギリギリまで出張行ってて、帰ってきてからは後輩に説教。
グズグズとGWに入り、なんだか長期休暇の実感がわかない今日この頃です。
・・・ちなみに後輩は、今年二年目で、去年はぼくがOJTを担当しました。
もともと誰かを叱ったりする方ではないので、2017年は人生でダントツ怒った年になりました。
誰かを怒鳴りつけたのもたぶん人生初ではないかと。
そしてOJTが終わり、単独の車での出張が増え、4月は半分以上が出張行ってたのですが、ラジオで流れた歌が心にしみた。
「♪叱られるより 叱るほうがしんどいってこと 学びました」
いまググったところ、三浦祐太朗「ハタラクワタシヘ」という曲でした。
「♪お疲れ様 わたし だいじょうぶ」
大丈夫。
「大丈夫?」というニュアンスかもしれませんが、ぼくは「大丈夫だよ」と解きました。
良い歌詞だと思いました。
 
これまで何度か、歌に救われたというと大げさかもしれませんが、明らかにこの歌を聞いて崖のふちで踏ん張れた、というのがありまして。
まだ記憶に新しいのは、博士論文を書いていた時と、就活していた時です。
 
博士課程。
そもそも博士課程という物自体がとんでもなく精神を病むもので、精神疾患に陥るなんて珍しくありません。
ぼくが博士課程に進んだ時のオリエンテーションでは、東大を出てMITで教えていたという大教授から、「わたしも、博士論文を書いているときは30分おきにゲーゲー吐いてました」という訓話を頂きました。
博士課程の歩き方とかいう本にも「あ、いまが人生のどん底だ、と思う瞬間が必ず訪れます」とありました。
博士論文を書くというものは、無実の重罪に問われ死刑になるかもしれない自分が、供述調書を自分ひとりで書いて最高裁に臨む、という感覚に近いです。
だって世界のだれも知らなかった科学的事実を自分だけが知っていて、世界中の科学者に信じてもらわなければならないのが論文ですから。
もちろん科学の世界はそんな悪意に満ちたものではありませんから、後から思えば錯覚にすぎないのですが、全世界の科学者が自分の業績を否定しようとしている、孤立無援の状況で、なんとかして自分の実験結果が正しいと証明しなければいけない、という精神世界です。
・・・まあだからこそ、捏造なんかも起こるわけで、正直言って研究の中でおきる捏造をぼくは、心の底から糾弾することはできません。
わかるから。
とにかくそういう世界の果てまで追い詰められた状況下。
丹下桜の歌を大音量で聞きながらぼくは論文を書き上げました。
丹下桜「Stand by me」。
「心配ないよ 大丈夫だよ ここに味方が一人いるよ」
孤立無援の精神世界の中、わたしは味方だよと、声に出して言ってもらえるその心強さたるや、ただ事ではありませんでした。
夜中、博士課程学生専用の広々と静かな論文執筆部屋のなか。
人知れず安堵の涙を流しました。
 
就活の時。
2010年度、100年に一度の大氷河期といわれたなか、社会一般では足枷に過ぎない「博士号」を引きずってぼくはほとんど日本中を奔走していました。
だれか、どこか、ぼくの業績を必要としてくれる存在を探して。
肩にかけていたカバンでスーツが擦れて傷むほど右往左往した挙句、もうだめだと思ったとき、響いた曲は(笑)
超人機メタルダー オープニング曲「君の青春は輝いているか」
「夢を果たすまで一歩も退くな 負けたと思うまで人間は負けない」
「人の運命は誰にも見えない 自分で切り開け 甘えてはいけない」
夢かー、と。
博士課程で精神はぐじゃぐじゃになり、まあよく言っても精神構造が変質し、その影響は今もはっきり残っています。
夢。
忘れかけていたというより、目の前の巨大な障壁の前で、とりあえずそんなもんどうでもいいわと思ってしまっていた。
それはいかんぞよと、張り倒された気がしました。
そして、甘えてはいけない、と。
学生気分に浸ってんじゃねえんだぞと。
枷をひこずるてめえが大人の社会に踏み込もうってのに、通り一遍の「就活のやり方」が通用するわけねえだろと。
そこから旧知のつてをたどって頭を下げに行ったり、まあいろいろしまして。
それが奏功したのか分かりませんが、なんとか、なりました。
 
えーと何だっけな。
疲れ果ててGWに突入、昨日は15時間ねてやりました。
腰が痛いです。
あすからは実家に帰ります。
ああ。
疲れた。
 
徒然狸 ―タヌキの日記―

筆者は盲導犬尊敬し、個人的に応援しています。
http://www.moudouken.net/





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