徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

ふたたび知らない天井について

というわけで、入院してきました。
いやー、2度目だし余裕綽々、のんびり寝てやるわいなどと息巻いていたのですが。
・・・今回のほうがきつかったかもしれません。
 
21日、月曜日。
夏休み明け。
あすから入院なので、一日だけ出社。
まさかこの一日で体調を崩すわけにはいかんので、つつましやかに勤務し、早々に帰宅。
スクランブル出張用の大きめのカバンに、書類や着替え、マグカップから洗面器までつめこみ、ビールをかっくらって寝る。
 
22日、火曜日。
良い天気。
フツーに起きて、フツーに病院へ行き、問診を経て前回同様、あれよあれよという間にベッドの上。
・・・。

また知らない天井だ。
病院食の昼食を食べ(結構おいしい)、本を読んで夕べを迎え、病院食の夕食を食べ(やっぱりおいしい)、風呂に入って寝た。
 
23日、水曜日。
オペ当日。
いつもの癖で0530時くらいに起床。
本を読みながら起床時間を待ち、点滴を入れられ、気分は急激に病人へシフト。
・・・点滴を入れられると、チューブをどっかにひっかけると嫌なので自然と動きがゆっくりになります。
そして自然と、テンションが下がり、なんだかぐんにょりしてくるから不思議なもんです。
 
1030時。
オペ室から呼ばれる。
前回同様、点滴を曳きながらオペ室まで移動。
氏名と手術箇所の確認を受けた後、自力で手術台に横たわる。
・・・寒い。
何しろクリーンルームなので、陽圧にするため天井から風が吹き付けています。
そして室温は推定20度。
こちとら浴衣の様な術衣の下はパンツ一丁なのでガクブルものの寒さ。
そうこうしながら酸素マスクや心電図の電極を付けられたところまでは覚えている。
が。
ここらで記憶が途絶えた。
(今回は麻酔を入れられてからどれだけ眠らずに耐えられるかチャレンジしようと思っていたが、麻酔を入れられた記憶さえ残っていなかったのでチャレンジ結果は不明。全身麻酔では術前の記憶がなくなることも多いらしい)
 
推定1230時。
ふっと目が覚めた。
苦しくて目が覚めた感じだ。
気管には気道確保のためのチューブが入れられており、一定量ずつの酸素が入ってきている感じはするのだが。
苦しいと感じたことで軽いパニックになり、急激に息を吸おうとしてもなかなか吸えない感じになり苦しさ倍増。
首をぶんぶん振って苦しいアピールをし、チューブを抜いてもらい、蘇生完了。
とはいえ麻酔はまだ効いていて、目を開けるのも億劫。
自分の呼気が麻酔臭いのがわかる。
(マジックインキをたらふく食って、ゲップしたらたぶんこういうにおいを感じるはず)
どうやら前回より早いタイミングで目覚めたらしく、まだ手術台の上。
手術スタッフ、「せーのっ」の掛け声とともにシーツごと持ち上げられ、ベッドの上に平行移動。
そのままベッドごと元の病室に運ばれる。
麻酔と振動が相まって嘔吐感に襲われるがギリギリ耐える。
 
病室。
まだ昼日中。
あす朝までは安静状態のため、ベッドから降りることはできない。
肩はかなり痛むので、ほとんど身動きもできない。
スマホを持つ元気もない。
寝返りなんか全然無理。
しかし目は冴えている。
とにかくはっきりした意識の中、痛みに耐えながら、今日の夕方を、夜を、そして明日の朝をひたすら待つ状態に置かれる。
・・・痛いというか、そういう単純な感覚ではない。
なにしろ、皮膚と筋肉が切り裂かれた痛みと骨の疼きがミックスされていて、どういう痛みとか表現できない。
とにかく生理的に耐え難い種類の苦痛のなか、身動きができない。
閉所恐怖症の様な恐慌さえ感ずる。
 
・・・前回は、骨にボルトを埋め込む結構な手術だったので、その痛みは耐えられないものと常識的にわかっていたらしく。
手術直後から鎮痛剤として問答無用で麻薬を入れられていたため、痛みより朦朧とした怠惰感が優先して、なんだかんだ翌朝までうつらうつらしていたんである。
今回はなんだかんだ言って、ボルトを抜くだけの簡単手術。
「どうしても痛かったら鎮痛剤を(点滴に)入れますよ」と看護師さんから言われると、こちらもなんだか意地になって「いやまだまだ死ぬほどじゃありません(・へ・)」などと無駄な漢を見せ。
結局鎮痛剤は入れずに終わることになりました。
 
さて時間は巻き戻り、手術後の夜。
ベッドから降りられないので、小便は尿瓶を使うことになるが、これが嫌なので消灯時間ぎりぎりまで我慢。
(点滴で生理食塩水を強制的に入れられているので、絶水・絶食状態でも結構な勢いで尿意は訪れるんである)
消灯前の検温・血圧測定ののち、尿瓶を使う。
ベッドを90度くらいまで起こしてもらい、お手伝いする気満々で待機している綺麗な看護師さんに退室していただき、ひとりで頑張る。
・・・あーーーー・・・。
ギリギリまで我慢していただけあって、尿瓶があふれる危機感を感じながら完了。
でっかい尿瓶のたっぷり7分目までは到達しており、看護師さんに渡すのがたいへん恥ずかしかった。
 
そして2200時、消灯。
一切眠くない。
一方で、手術後のため外傷性の発熱はあり、体温は38度を突破。
本能的なものか知らんが、性欲を持て余す。
 
深夜。
徐々に痛みが緩和してきた。
表現しようのなかった苦痛が、「筋肉がズキズキして痛い」と表現可能なレベルにまで落ち着いてくる。
ときおり薄い睡魔が訪れるが、熱があるため、風邪をひいたとき特有の頭が疲れる悪夢にのたうち回る。
4択クイズの様な選択肢が目の前に表示されて、正しいと思うものを選ぶ夢が繰り返される。
 
24日、木曜日。
永かった夜が終わり、狂おしいくらいにゆっくりと夜が明ける。
体温・血圧ほぼ平常。
点滴は続いているが、起き上がって普通に朝食。
朝はパン食。
暖かな食パン2枚にマーガリン、マーマレード
他に肉類のおかずと野菜類、果物、牛乳。
ただでさえ絶食明けの上、ベッドから解放されて椅子に座って食べるので物凄くうれしい。
若干泣きそう。
 
穏やかな時間が流れる。
椅子に座って本を読み、座り疲れたらベッドに横になってまた本を読む。
(ちなみに夢枕獏陰陽師シリーズ。浅田次郎新田次郎は、ついに全巻読み終えてしまったため)
昨夜はほとんど眠れなかったことに加え、痛みがずいぶん緩和してきており、いつしか深い眠りに落ちる。
ふと起きたら、全く気付かぬまま点滴が交換されていた。
 
夜。
点滴終了。
・・・昼間に爆睡したせいで寝つきが悪かったが、うとうとしながら朝を待つ。
 
25日、金曜日。
退院日。
普通に起き、普通に朝食(パン)。
傷口を覆っているカバー(巨大ばんそうこうみたいなもん)を交換され、最後の検温・血圧測定。
パジャマを脱ぎ、私服に着替え、0930時、退院。
夏の日差しと蝉の声が美しい。
1030時、帰宅。
風呂に入って、着替え。
1230時、出社。
 
・・・いや、だって午後からお客さん来る予定だったんだもん。
ちなみに肩はパンパンに腫れており、左腕がほとんど動かない状態だったので同僚に「何しに来たんだこの野郎」とか言われたが、腕は動かなくても会議はできるので問題なし。
ディスイズ・ジャパニーズ シャチク!
 
26日、土曜日。
肩の腫れ(むくみ)が前腕まで拡大。
肘までふっくらプヨプヨになる。
・・・まあこれは経験済み。
表面的に傷はふさがっているが、体内では内出血だの組織液の漏出だのは続いているため、どうしても肩から下が浮腫になるんである。
 
29日、火曜日。
前回の経験から浮腫は指まで拡大するだろうと覚悟していたが、手首まで来たところで停止。
引き始める。
体液の漏出量が下がって、吸収量のほうが増してきたものと思われ、つまり順調に回復しつつある。
全く動かなかった腕も1日10度くらいは可動範囲が回復しつつある。
想像より回復が早く、よーし今週末にはミッションに出てみようかな!とか思っていたら。
 
台風が来るでござる
徒然狸 ―タヌキの日記―

筆者は盲導犬尊敬し、個人的に応援しています。
http://www.moudouken.net/





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