徒然狸 -タヌキの日記-

明けぬ夜の燈明

就職活動顛末記

2009年
9月
リクナビに登録する。
ちょっと会社検索したりしてみるが、エントリーはまだできないのですぐ飽きる。
 
10月
プレエントリー開始。
「開発したものが店頭に並ぶ」ことに魅力を感じ、食品系を中心にプレエントリーを始める。
メール量が大変なことになり始める。
 
11月
説明会の季節。
就活本には「企業は説明会でも学生をチェックしている」とあったため当初は緊張していたが、やがて「絶対嘘だろ」と悟りを開く。
以後、普通のビジネスマナーだけに気をつけて適当に参加するようになる。
エントリーシートを書き始めた時期でもあったと思う。
手書きが非常に面倒であった。
 
ちなみにボールペンの選定は慎重に行った。
字がきれいに見えるゲルインクボールペンに的を絞り、「速乾性」と「消しゴムでこすったときの耐性」の二点で各社製品を比較。
結果、uniのシグノ、ぺんてるのエナージェルが及第した。
uniのジェットストリーム(あとで確認したらゲルじゃなかった)も良かったのだが、書き始めがかすれる癖があったので携帯用に回し、書類は基本的にはエナージェルの0.5を最後まで使い続けた。
細かい部分はシグノの0.28を使用した。
 
12月
選考の始まり。
そろそろ筆記試験やらを始める企業がではじめる。
それなりに通ったり落ちたりする。
まあこんなものかという感。
グループワークや面接の一回目もこの時期だったか。
 
2010年
1月
相変わらず通ったり落ちたりの一進一退の攻防。
というかなかなか進まない。
さすが不景気だなぁ、というところ。
 
2月
何かがおかしいことに気づき始める。
落とされるタイミングに統一感がある。
はっきり言って、履歴書を出したとたんに落ちるケースが大半でなんである。
一度なんぞ、説明会予約の時に履歴書を出したら参加をお断りされた。
履歴書がネックになっているとしか。
私の使っている履歴書はJIS規格のもので(大学指定のだと学歴と職歴が書ききれない)、「学生時代にがんばったこと」とかをごちゃごちゃ書く欄はない。
書くのは学歴、職歴、資格、数行の志望動機、本人希望欄、のみである。
まさか履歴書のスタイルや資格、職歴(助手)でおとされはしないだろうから、学歴か志望動機が怪しいところ。
ただ志望動機も数行なので、学歴で落とされている可能性が高い。
はっきり言ってしまうと、私の学歴は高いほうである。
誰でも知ってる大学の博士課程にいるので。
しかし、この博士というのがくせ者らしく、どうやら専門外の会社に入るのは不可能っぽいことに気づく。
 
3月
慌てて志望業界を化学・材料系に切り替える。
しかし完全に出遅れ。
一次募集は終わりかけており、書類落ちの嵐。
とにかく数を稼ぐも、どうもここでも博士フィルターがかかっている気がし始める。 
 
4月
博士フィルターの存在を確信する事件が起きる。
有名企業であるA化成株式会社の選考を受けたが失敗し、不合格通知が電話できた。
そのときの担当人事が凄いことを言ったのである。
修士なら合格でした」
お分かりいただけないかもしれないが、これはなかなかの侮辱である。
一応教授に伝えたら激怒。
伝え聞いた助教も激怒。
さらに伝え聞いたらしいT大の教授も激怒(したらしい)。
科学者をなんだと思っているのかよくわからないが、入社したらえらい目にあったのかもしれない。
 
そんな中、高熱で倒れる。
40度の熱が数日続き、医者からは入院勧告、絶対安静宣告をされる始末。
血液検査の結果は「お年寄りの重症者でもこの数字はでません」。
博士課程でたまりたまった疲労が、就活のストレスで大爆発したらしい。
一週間弱の間、朝晩二回の通院点滴を食らうなか、ひそかに就職活動は続ける。
さらに、体力が回復したところで母方の祖母が亡くなる。
色々なことがありすぎたひと月となった。 
また時期を同じくしてアニメ「さよなら絶望先生」にはまり始める。
 
5月
いくつか選考が進んだものの、相変わらずの負け続け。
とにかく情報サイトをあさり、エントリーを続ける。
 
絶望先生のセリフ「絶望した!!」が口癖になる。
 
6月
相変わらずだが、この時期にある企業と出会う。
機械が主体の会社らしいのだが、化学屋が是非ほしいとの求人が本学宛に出されているのを発見。
一次面接に望んだ。
人事との一対一の面接で、最初はふつうに進んだ。
自己PRをして、志望動機とか説明して。
色々話したあとで不意に
「今までの流れであなたの魅力はどれくらい伝わったと思いますか?」
ほえ?
意味が分からん。
その後、自己PRを中心に色々なだめ出しを受ける。
ああ、こりゃいかんなと確信していたら。面接官。
「それでは、私は今から三分ほど席を外します。その間に自己PRを練り直してください」
面接会場に一人残されるワタクシ。
なんぞこれ。
数分後、練り直した自己PRをもう一度披露する。
「よく纏められましたね。合格ですので、事業所見学に行ってください。あなたはたぶん最終までは行きますよ」
な ん ぞ こ れ
結局この会社とは縁なく終わったのですが、この面接を経て私の自己PRは最終形態に変化。
感謝しています。
いつか、この会社に恩返しがしたいと。
 
また、この月に万が一のための予防線を張る。
このままフリーターにでもなったら文字通り首をくくるしかなくなるため、以前バイトしていた会社の社長に連絡。
いざという時に何とか受け入れてもらえないかと相談したところ、うちでは無理だが他社を紹介してくださるとのお返事。
とある先生の会社に受け入れてもらえることになる。
……ただ、その会社は「サイエンス」の名を冠してはいるものの、科学技術者として仕事ができる会社ではない。
そこに入社すれば、もう化学者に戻ることはできなくなる。
なんとか科学技術者としての働き口を見つけるため、就職活動は継続することに。
 
なおこの月に初めて最終面接(技術面接)を受けたが、私の修士博士それぞれの専攻分野にことごとく詳しいスーパーマンのような面接官にあたり、あえなく不合格。
……まあ、もう一人の面接官はなんか態度も悪かったし、後から考えれば落ちて正解だった気がしなくもない。
 
時を同じくして、研究室のパソコンに絶望先生関連の楽曲データベースが構築される。
♪さあ行こうぜ
絶望の僅かなこっち側へ
 
7月
賑やかだった就活スケジュールもめっきり寂しくなり、三つあった持ち駒のうちひとつの農薬メーカーは一次面接で早々に落とされ玉砕。
まあ、会社説明が30分しかなく、しかもひたすら会社の歴史について語られたため事業内容が最後までよくわからん会社であった。
 
さて、のこりは2つ。
片方はメーカーで、うちの大学の学生を特別募集していたため、メールにて応募したい旨を伝える。
……返信メールで、説明会、人事面接および役員面接の日程が提案される。
筆記はパスで、人事面接と役員面接は同日実施。
早い話が選考が一日で済んでしまう。
バブル時代の残像のような豪快な選考に一抹の不安を覚えるも、贅沢は言っていられない。
職場の最寄り駅は単線だが一応関東ではある。
で、面接を受ける。
同じ部屋で一日二回。
なんだか面接官どうしも仲が良さそうで、和やかな雰囲気であった。
ただ、入社したら寮に入るつもりだと告げたところ、「うちの寮はおすすめできない」としきりに言われたのが若干不安なところではあった。
結果は八月頭にメールするとのこと……。 
もう片方は科学技術者の派遣会社。
派遣というと誰しもが「派遣切り」を思い浮かべると思うが、あれは登録型派遣の話。
私が受けるのは科学技術者の正社員雇用型派遣なので、あれとは関係ない。
で、ここもなかなかいい雰囲気の会社だった。
人事の方は若いながら落ち着いていて穏やか。
最終面接(技術面接)でお会いした技術者の方々も、穏やかで魅力的だった。
技術面接では私がまず現在の研究を15分で説明し、その後15分の質疑応答を行う形式。
プレゼン自体は百戦錬磨で慣れたものなので普通に終了。
質疑応答になるが……問題発生。
浅い質問しかこない。
私の研究は様々な科学分野の知識(基礎科学、無機化学、結晶学、細胞生物学、免疫学、臨床医学(そんなもんこっちだって分かってねえ)など)を使用するため、総合的な理解を得るのはなかなか大変だったりする。
しかしそこはそれ、慣れっこなので、最初に重要なキーワードを提示して印象づけ、漫画や写真で表現できてなおかつ面白そうな部分をつなぎ合わせてストーリー化。
ついでに質問を誘導する為にわざと情報を欠落させて「罠」を仕掛けてあるので、専門外の科学者なら大体予想通りの質問をしてくるはず。
それが、浅い質問がちらほら出るだけ。
自分が扱っている物質の結晶系を聞かれ一瞬ぎょっとしたが(結晶学にはあまり自信がない)、「六方晶です」と答えるとそれ以上のつっこみはなし。
ただ相手は結晶学を心得ているようで、結晶面の吸着特性について聞かれたが、「いまほかの学生が検討中だがなかなか面倒だ」と応じるとやはりそれ以上のつっこみはなかった。
こうなると、いやな可能性が浮上する。
私のプレゼンにまとまりがなく、論点を見失わせてしまったのかもしれない。
質問には完璧に答えたものの、なんだかいやな予感をはらみつつの退席となった。
結果は二週間後にメールか郵送でくるとのこと。
……たぶん間違いなくメールがきたらアウトなので、携帯の着信に怯えながら二週間を過ごす羽目になる。
 
ちなみに実はもう一つ選考を受けようかと考えていたメーカーがあったのだが、主力製品の情報を研究室で見ているとセクハラになる可能性があり。
なんだかぐんにょりしたので切る。
まあ何とは言わないが、主に薄さと耐久性が要求される製品、とだけ。
 
なお、この時期になると会話の端々に絶望先生のネタが混入する末期症状に陥っていた。
きっちりアメーバ。
 
8月2日
二週間を少しすぎ、17日目。
派遣会社から郵便物が届く。
以前受けた派遣会社は二週間待たされた後、郵送で不合格通知が届くという嫌がらせに近い仕打ちを受けた。
胃が冷たくなるのをこらえ、開封
まず返送用と思しき封筒が同封されているのが目に入る。
ということは……
同封のA4用紙を開くと、夢にまで見た内定通知書。
そして内定受諾書。
これを期限までに返送することで雇用契約が成立するらしい。
しばらく立ち尽くしたあと、やった、と叫んだ。
うさぎが驚いた。
 

8月3日
朝も早うから届いたメールに起こされる。どうせリクナビだと思って携帯を開くと同時にぞっとした。
差出人は、もう片方のメーカー。
件名は「最終面接結果のご連絡」。
これに、ぞっとした。
これまでの経験から、メールの件名で合格不合格がだいたい判別できるようになっていた。
例えば一次選考の結果を知らせるメールの場合、合格なら件名は九割以上の確率で「二次選考のご案内」となる。
不合格の場合は「一次選考の結果につきまして」だ。
これは最終選考でも同じだろうと予想していた。
即ち、合格なら「入社手続きのご案内」、不合格なら「最終選考の結果につきまして」。
今目の前にあるのは「最終選考結果のご連絡」。
どう見ても落ちている。
まあ内定なら一ついただいているし、知り合いの先生もおいでといってくださっているし、もう高望みはすまい。
覚悟を決めてメールを展開する。
決まり文句が目に入る。
『先日は最終選考にご参加下さり……』
はいはい。
『……大変お疲れ様でした』
分かった分かった。
もう次にくる単語が見たくなかったので、すっとばして続く文を見る。
末筆ながら実り多い就職活動となりますことを云々。
決まってる。
『残り少ない学生生活を楽しむとともに学業にも……』
……ん?
前の文を見直す。
『最終面接を見事に通過され合格となりました事、ご報告申し上げます。
タヌキさん おめでとうございます。』
……あ。
ああ……。
メーカーの技術者に、なれるのか……。
 
5日
選考が残っていた最後の会社から不合格通知が届くも、もはやどうでもいい。
長かった就活が終わった。
 
6日
先輩方+後輩が祝宴をあげてくださる。
凄い勢いで酒を浴びる。
 
8日
珍しくキャシャリンに飲もうと誘われ、酒を浴びる予定。
 
 
いやはや。
リーマン・ショックに端を発した、百年に一度とも言われる大不況。
もともと厳しいといわれている博士の就職活動が、さらに厳しくなっていた模様です。
グローバル化とは言っても口先ばかりで、海外戦略に必要な博士を積極採用する気は、どこの企業もあまりないようです。
(特に欧米の理系企業では修士以下はブルーカラー扱いされることが多い)
昔、博士号は「足の裏の米粒」といわれていました。
取らないと気持ち悪いが、取っても食えない。
それは今も変わっていないようです。
この体制がすぐに変わるとも思えないので、以下のような人以外は博士課程への進学はお勧めしません。
・教員になりたい人
・海外で就職する人
・一般企業に就職したい、というこだわりのない人
・博士になること自体が目標という変人(私のケース)
・世捨て人
基本的に、博士号は社会人ドクターとして取得すべきと思います。
なお、就職前にどうしても博士を取りたいという方は、研究分野の選定が非常に重要です。
修士までなら研究分野に関わらずどこにでも就職可能ですが、博士は専門性に注目されてしまい、どうしても就職先が絞られるためです。
私の感覚では、理系博士は以下の分野で取得すべきと思います。
半導体材料
・金属材料
・ポリマー
・医薬系の合成
・電子工学
・機械工学
特にポリマーと機械工学が安全かと思います。
あと、修士進学時には可能な限り名の通った大学を選ぶべきです。
大学受験と違い、院試の競争率や難易度はそれほど高くないためです。
また、できるだけ東京近郊の大学を選ぶべきです。
博士課程はクソ忙しいため、説明会に行くにも時間がかかるようでは、はっきり言って勝負になりません。
このへんが、今回身にしみたところです。 
以上、就職活動顛末記。
6000文字で携帯からお伝えしました。
 
集計
プレエントリーだけで終わった会社 56社
自分で切った会社 11社
不合格になった会社 61社
内定 3社
合計 131社
 
徒然狸 ―タヌキの日記―
 
 
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筆者は盲導犬を個人的に応援しています。
下記のリンク先にあるボタンをクリックすると、(社)日本盲導犬協会に対して1円が募金されます。
どうか、ご協力ください。
http://kakaku.com/donation/
募金は株式会社カカクコムが代行して行いますので、あなたには金銭的負担は生じません。
 
 
 
後記
 
6月の「いつか恩返しがしたい会社」の面接官に言われたことがあります。
ぼくが、就活で苦労していて、少しでも早く内定をくれた会社に入りたい、と言ったところ。
「そんなことで決めてはいけない」
「必ず、あなたが会社を選ぶ時が来ます」
と。
まさに、そのとおりでしたね。
先生の会社と、派遣会社と、メーカー。
選択の時は本当に訪れました。
なんだったんでしょうか、あの面接官は。
今となっては、神の使いにすら思えます。
 
就活がきつい時、教授に呼ばれて、
・一年伸ばしてもう一度就活をすれば?
・うちの研究室でPDとして受け入れるから、一度落ち着いて、やり直せば?
とか、提案をたくさんいただきました。
でも、泣きながら断りました。
研究室の前。
廊下で。
直立不動、顔を背け。
ぼろぼろ涙を流し。
教授に感謝しました。
ぼくには時間がありませんでした。
4月、祖母がなくなりました。
博士になったって言ったら、どれほど喜んだだろうって。
祖父はまだ元気です。
でも、歳です。
このうえ、祖父にまで報告できなかったら、ぼくはどうしたらいいのかって。思いまして。
諦めず、食い下がり、結果、とてもいい会社に就職できました。
2011年、夏。
実はそんなこんなで、必死でした、と母に伝えました。
そしたら、その盆。
親戚の、会う人みんなにその話をしてました。
余計なこと言う母じゃないのに。
それで、ぼくの決断、食い下がったことは間違いじゃなかったのだと、はじめて、心のそこから確信できました。
 
今だから書ける、2011年8月、夏の終わり
マッドタヌキ





 NHK(日本放置協会)は放置される側の団体です。