徒然狸 -タヌキの日記-

――空。美しい空。悲しい空。何かを置き忘れてきてしまったような、空。

ふたたび講演について

どうやら今月は講演のあたり月らしいです。

新入社員向け1時間の講演依頼で頭を抱えていたら、今度は子供向け2時間の講演依頼が舞い込む。

勤務先で発生したイベントならまだ分かりますが、今回は友人経由で回ってきた、市民活動イベント。

人生にはこういう隠しイベントも存在するんですね。。。

とりあえず僕にできそうな授業内容と、先方のニーズが一致したので受諾しました。

あとはもう、周囲の先生・学者のみなさんにご協力いただき内容を練るしかありません。

しかし2時間・・・うーむ。

完全に異次元の時間尺で、しかも子供相手。

ぼくと子供たち、お互いに地獄の時間にならないように頑張らねば。。。

徒然狸 ―タヌキの日記―

 

筆者は盲導犬尊敬し、個人的に応援しています。
中部盲導犬協会:http://www.chubu-moudouken.jp/
日本盲導犬協会http://www.moudouken.net/

 

俳句鑑賞の私的起源について

重大発表。

次の元号には「安」の文字が入ります。

当たってたら誰か何かください。

できればビールがいいな。

こんにちはわたしです。

 

さてこのところ鑑賞の記事ばっかですが、そもそもなんで鑑賞なんか始めたのかをふと、思い出しました。

高校の国語の授業で習ったのがきっかけです。

・・・正確には、授業で教えられた俳句鑑賞の内容を全く聞いておらず、いざテストで鑑賞文を書けと言われ授業の内容とは関係ない(と思われる)勝手な鑑賞文を書いたところ、マルをいただいたのがきっかけでした。

 

「かりかりと蟷螂蜂の皃(かほ)を食む」山口誓子

 

これをわたくしは勝手に、

・本来カマキリがハチを、しかもその顔を食っている様などグロテスクこの上ない。

・しかし読み手は眩しい夏の自然の中に見たこの光景を、ある種すがすがしいものとしてとらえた。

・その感覚が「かりかり」という乾いた小気味よい擬音によって表現されている。

などと鑑賞したことを覚えています。

今思えば、授業でどのように解説されたのか聞いておけばよかったと心底思います。

 

当時、授業を受ける態度はひどかったですね。

騒ぐ暴れるではなく、理化学系以外はどうにも興味が持てず、ほぼ寝ていたような。

国語に関しては、わたくし御幼少のころより結構な読書屋さんだったため、文章に対して自分なりの感想・感覚を強く持っており。

「作者はこう思ってこう書いたのだ」などと言われても、だからどうした俺に関係なかろうなどと感じていました。

親父の説教と冷酒などといいますが、学校の授業と激辛料理も後から効きますね。

まさか大人になって、国語を、数学を、日本史を、漢文を、真面目にやっておけばよかったなどと思うことになるとは・・・。

 

なんでまあこんなことを思い返したかと言えば、4月頭に新入社員むけに講演をしろと仰せつかりまして。

持ち時間、60分間。

もうね、どうしろと。

一応、メインの題材は先の社内技術発表で賞を頂いた新技術の説明ですが、その発表資料は20分用につくられています。

新入社員向けなので懇切丁寧に解説を加えながら引き延ばしてもせいぜい、35~40分でしょうか。

というか、学会発表とかもふつう15~20分なので、そもそもが60分という公演時間が完全に未知。

うーむ。

一応、新入社員に伝えたいことはあります。

仕事は楽しくなければならない。

楽しくなかったら何かがおかしいと疑え。

その方法論は「課題の自己流解決」。

学校で習ったことは社会に出れば役に立たないなどという間抜けな意見があるが、それは学校で何も学ばなかった人間のいいわけである。

小学校から大学まで学んだこと、すべてが仕事に役に立つ。

いや学校だけとは言わん、趣味でもテレビゲームでも、全部役に立つ。

それら知識と経験を駆使して、自分なりの方法で課題解決をした瞬間、貴官らは仕事が楽しいと感じるであろう。

というようなことを、実例を交えて話そうかと。

思うのですが。

それでなくとも寡黙で、普段だまーって黙々と静かに淡々と任務遂行にあたるわたくしのこと、このネタで果たして何分稼げるのか全く謎。

かといって予行演習をするほどの気迫もなく。

話すことを並べただけのスライドをカンペ代わりに作ってぶっつけ本番で臨む所存です。

 

もうどうにでもなぁれ☆

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あの日あの時について

平和ボケの極致にあった日本人が叩き起こされたあの日から、8年。

つまり、ぼくが社会人になって8年。

生まれた子供が小学校になじむほどの年月を経て。

たしかに新しいこと、新しい技術、新しい知識を会得しましたが。

これっぽっちが8年間のてめえの成果かと。

 

かなえたい夢もあった

変わりたい自分もいた

 

 

そんな喪われた人々の思いを背負ったと言えるほど、

生き残って恥ずかしくないほど、

砂を噛んでも反吐を吐いても前進してきたのかと、

言われれば地面を見るしかない。

 

もっと、もっと、ガガッと

頑張らなきゃいけない。

 

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空について

空、見ていますか。

そらまあ日常、視界には入るんでしょうけど、意識的に見上げていますか。

おいらは思いが内面に蟠るほうなので、答を探してか空を見上げることがよくあります。

こんにちは、おいらです。

きょうはおーいお茶新俳句大賞、過去の大賞作を鑑賞してみます。

 

りょうはしにぶらさがりたい三日月だ

(8歳)

 

三日月と聞いて、画用紙の上に書かれた月に、こどもがぶら下がっている絵を想像された方も多いのでは?

しかし俳句ですので、実際の空にある、月を見て描かれたもののはずです。

空の三日月、小さいですよ。

切り絵のかけらのような頼りなさ、矮小さがあります。

しかし空気の本当に澄んだ夜、三日月を見上げると、その思わぬ鋭利さ、立体感、手の届きそうな実物感にハッとさせられることがあります。

詠み手はそのような、いつもと違う月の姿に触れ、手を伸ばせばあたかも触れそうな存在が天空高くにある幻想的な風景から、ぶらさがりたい、と表現したのかもしれません。

 

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今年も俳句について

毎度おなじみお~いお茶新俳句大賞。

受賞から遠ざかって久しいですが、今年も挑戦します。

ちなみに今年は5句の応募。

・正月の帰郷

・早朝出勤の風景

・夜の雲

・夏への郷愁

・広々とした田舎風景

です。

 

ところで前回の大賞句。

毎度のことながら大賞句は桁違いにすごい。

 

獅子舞の 口へ 太平洋の風

 

せっかくなので鑑賞してみます。

この句のすごさは、場面転換です。

獅子舞

この単語は見た人の中に、それぞれ自由なお正月の風景を瞬時に湧き立たせます。

それはたぶん多くの場合、とても幸福な絵柄として静止画になるでしょう。

しかしそこに「太平洋の風」と置かれることで、一瞬にして想像の風景は海原に置き換わります。

反射的に、自分が思い描いていた正月の風景と、海との調和が図られるのではないでしょうか。

つまり、自分の過ごすお正月と、海。

自分の家が海のすぐそばにあり、その道端で行き会う人人と、正月を祝っている。

そんな風景が醸成されます。

自分の家が海辺にある、大部分の人にとってそれは、夢の中で見るような不思議な光景で、一度はあこがれた風景で。

そんな懐かしい幻想を、一瞬で、一瞬だけ、見せてくれる。

魔法のような俳句。 

 

徒然狸 ―タヌキの日記―

 

※後記

意図か偶然かしれませんが、もう一つすごさが見つかりました。

俳句と言うのは五七五の区切りから成りますが、この句は

獅子舞の|口へ太平|洋の風

というような構成になっています。

太平洋 という大きな言葉が

太平|洋という用いられ方をしたことで、日本人の意識の中にだけ現れる、ゼロ秒の区切り符が含まれ、より大きな言葉に膨らんでいる。

うーーーん。。。。。。。

 

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W次郎と花について

日本語の師として浅田次郎を崇めており、一方で新田次郎の描く山の質感が大好きです。

時代もテーマも作風もまったく異なる両者ですが、ひとつの共通点がありまして。

花が好きとのこと。

浅田次郎曰く、部屋に花を飾るという行為は自然の一部を切り取って自儘にする、非常な贅沢であるとのこと。

若き頃、食う金に困っても部屋に飾る花だけは買っていたとエッセイにありました。

一方の新田次郎はその著作に「白い花が好きだ」というものすらあり、高山植物から身近にみられる春紫苑まで、さまざまな花をテーマにした作品を遺しています。

好きな人に非常に感化されやすいワタクシは、これらの著作を読んでからというもの、道端の花に注意を払うようになり。

通勤経路の家の玄関先にスノードロップを発見して興奮したりしています。

こんにちは、変態です。

 

で。

ボランティアと言えばかっこいいのですが、休日に恩師の手伝いでイベントスタッフというか、ステージに立ったりしていまして。

今日のステージ、最後に花束と記念品を頂きました。

記念品は手作りのグッズ。

実用性非常に高いので愛用させていただきます。

そして花束。

おお、どうしようと思いましたが、心の師匠 浅田次郎の一節が蘇る。

商売柄、花束を頂くことが多くあり、あれは儀礼的なものなのでおいて帰る方もあるが、私は必ず持ち帰り部屋に飾る。と。

よっしゃと3時間弱の帰路、大切に持ち帰る。

ただ、花束を生けられるほどのちょうどいい容器はないので、ペットボトルを加工して即席花瓶を作製。

茎を少し切ってやり、生ける。

以前、絵を買ったときも生じた感動ですが、部屋の空気が変わります。

そして意外だったのがカスミソウの効果。

花束の状態では、彩度の高いガーベラの引き立て役にしか見えていなかったのですが、生けてみるとその白い花よりも、繊細な茎の部分にその価値を見出しました。

・・・盆栽の鑑賞の仕方をご存知でしょうか。

あれは、大自然を小さなスケールにそのまま写し取るような、箱庭のような世界観がひとつの楽しみ方だと思っています。

つまり、大樹をかたどることで、小さな面積に大きな世界をイメージしているのです。

カスミソウの茎は非常に細い。

面積にして、ガーベラの茎の数百分の一しかありません。

つまり相対的にガーベラがより大きく見えます。

きれいな花に、壮大な自然を見ている感覚が加わるのです。

うん。

それだけ。

 

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利便について

ド田舎の我が家ですが、徒歩1分の所にまさかのコンビニができました。

田舎にありがちの大駐車場付き、堂々としたもんです。

おお・・・。と。

 

嬉しいのはまあありますが、実はそうとばかりでもなく。

――田舎に生きる、これは小学生のころからの夢でした。

東京に生まれ、中央区の小学校に通っていたワタクシは、テレビで見る田舎の学校に強いあこがれを抱いていました。

校庭からはビルはおろか高い建物は何も見えない。

遠くには美しい山並みを望み、校庭から見上げるあくまで広い空には騒音の一つもない。

高校生になりようやく田舎のキャンパスに通うこととなり、とりあえず山の見える学校に通う、という夢は果たされましたが、それでも田舎に云々とは程遠い環境でした。

そして大学、大学院はまた都会で。

就職し、ようやく手にしたのがいまのド田舎暮らしでした。

 

・・・空の広さ、空の音を意識したことがありますか。

東京の道から見やる空は建物に囲まれていて、とても狭い。

そして夜でも空を見上げれば、当たり前のように轟々という騒音に包まれている。

それに比べ、何度か旅行に行った田舎の空の広さ、静けさたるやほとんど夢のようでした。

幼いころ、伊豆大島の夜空を見あげて「墨で塗ったみたいだ」とお袋に言ったこともありました。

どうか都会の方は田舎に行ったときに、田舎の方は都会に行ったときに、昼の空、夜の空を見上げ見てください。

 

で。

コンビニができたかー、と。

隣町のターミナル駅周辺はここ数年で急激に栄えてきており、この辺も来るのかなぁと思っていたところでした。

今はまだ、コンビニひとつの話ですが、周囲を囲む田畑も、水路も、広い静かな空もいずれ消えていくのでしょうか。

 

そのコンビニで早速買ってきたビールでぐでんぐでんになっていたらこんな文章が出てきましたあ☆

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 NHK(日本放置協会)は放置される側の団体です。